鉄筋コンクリートから木造へ。名古屋城天守閣の解体と再建



名古屋のシンボルであり、中部日本の象徴である名古屋城。その天守閣の建て直しに対する関連予算案が2017年3月23日に名古屋市議会で可決されました。

しかも現在の鉄筋コンクリート造りから木造での再建になるといいます。一度鉄筋コンクリートで再建された文化財を木造で建て直す例は日本初だそうです。

愛知県民なら見過ごせない、名古屋城の解体と木造再建についてまとめてみました。

 

名古屋城と金のシャチホコは名古屋と日本のシンボル

名古屋城は尾張徳川家の居城で、徳川家康が築城を決めた日本有数のお城です。

日本中部の要として。また当時まだ不安定だった西国への睨みを利かせるために築城されたといわれる名古屋城は、大阪城、熊本城と並ぶ日本を代表する城として名を馳せてきました。

特に天守閣に飾られた金のシャチホコは有名で、1873年のウィーン万国博覧会に出品されたほどです。日本を象徴する文化財の1つとして扱われたといえるでしょう。

しかし、1945年に太平洋戦争中に名古屋を襲った大空襲で、天守閣ごと消失してしまいました。

 

鉄筋コンクリートで再建した名古屋城天守閣

戦後、名古屋城址は公園として利用されていましたが、1959年に地元名古屋の人々や全国からの寄付をもとに天守閣が再建されました。もちろん金のシャチホコも復元され、名古屋のシンボルとなっています。

このとき、天守閣はもともとの木造建築ではなく、鉄筋コンクリート造りとなりました。
それは二度と焼失することがないようにという、平和への願いを込められて作られたといいます。

しかし再建から50年以上経過し、鉄筋コンクリートの耐震性や老朽化が問題になってきました。建築物である以上、日々の劣化は避けられないものであり、解体と再建が検討され始めたのです。

 

大地震とともに変化する建築物の耐震性基準

天守閣の解体と再建が検討され始めた経緯には、耐震性の問題がありました。再建当時の建築基準法に定められた耐震性と、現行法では基準値が異なるからです。

1959年に名古屋城の天守閣が再建されて後、1968年の十勝沖地震、1978年の宮城県沖地震、1995年の兵庫県南部地震など、大地震が幾度も起こりました。

そのため、建築基準法の耐震基準も見直されてきたのです。その意味では、名古屋城天守閣は耐震基準を満たさない時代遅れの建築物となってしまいました。

これが築城された江戸時代の天守閣なら国宝級の文化財ですから保存する方向になるでしょう。しかし現在の天守閣は鉄筋コンクリートで再建されたもので、多くの観光客が訪れる歴史博物館でもあります。仮に大地震が起こったときのことを考えれば、現状のままではいられません。

天守閣の解体と再建は必要不可欠な事業なのです。

 

新しい名古屋城天守閣は2022年にお披露目予定


2017年3月23日に名古屋市議会において、名古屋城天守閣の木造復元関連予算案が可決されました。
同年11月あたりから天守閣の入城が禁止され、2019年9月に解体工事が始まるそうです。計画通りであれば、2022年には新しい木造天守閣がお披露目されます。

鉄筋コンクリートと木造のどちらが良かったのかは諸説ありますが、大切なことは名古屋城天守閣ほどの建築物であっても、時間の流れとともに劣化し、建築基準をみたせなくなることです。

文化財も定期的な検査と必要に応じた解体・再建があってこそ、未来に残すことができるのです。

それにしても、新しい名古屋城が今から楽しみですね。名古屋の空を鮮やかに彩る天守閣と金のシャチホコを期待しています。

 
【参考サイト】
・日本経済新聞「名古屋城天守閣、木造での復元決まる 事業費500億円 」http://www.nikkei.com/
・名古屋城公式ウェブサイトhttp://www.nagoyajo.city
・建築基準法http://law.e-gov.go.jp/