17世紀の危機がもとになった科学革命という常識の解体と創造



昔、自然科学は曖昧なものでした。錬金術や占星術のように神話や宗教の影響を多大に受けており、緻密ではあるものの今ある科学とは違った学問だったのです。

そんな古来からの認識が「解体」され、現在につながる科学が「創造」されたのは、17世紀に入ってからでした。

この頃のヨーロッパはさまざまな変化が起こった大きな転換期であり、科学もまたその中に含まれていたのです。

 

17世紀のヨーロッパは危機的な状況だった

17世紀のヨーロッパは多くの問題が立て続けに起こり、まさに危機的な状況でした。

16世紀の大航海時代によって、新しい大陸から大量の資源を手に入れ成長し続けていた経済が下降に転じただけでなく、凶作にも見舞われています。

さらに欧州全土に及んだ三十年戦争や、ピューリタン革命に代表される各国内部の反乱なども頻発し、人口もかなり減ってしまいました。

しかし同時に、14世紀に始まったルネサンスや16世紀の宗教改革など、多くの変化が数百年をかけて、着実に人々の意識を変え始めていたのです。

そのような意識の変化の積み重ねに加えて、社会情勢の悪化が引き金となり、従来の常識を解体する科学的な変革が起こりました。

それが「科学革命」です

 

17世紀におこった科学者、思想家たちの活躍

17世紀には今も名が知れ渡っている多くの科学者、哲学者が、画期的な研究成果を発表しています。

有名なところでは、以下の人物が挙げられるでしょう。

  • ニコラス・コペルニクスに始まる地動説を理論面で実証したヨハネス・ケプラー
  • 天体観測によって地動説を証明したガリレオ・ガリレイ
  • 万有引力の法則を発見し、近代科学に大きな影響を与えたアイザック・ニュートン
  • 合理主義哲学を生み出したルネ・デカルト

いずれも後世の科学に大きな影響を与えた学者です。

これら研究の共通点は、従来の神学や宗教的世界観を前提とせず、あくまでも実験や観察に基づいたデータの分析と、数学を用いた論理追求の結果だったことです。

 

従来の世界観や常識の反発と解体

実験や観測による研究と理論の組み立ては、現在で考えれば当たり前のように思えますが、17世紀当時では一般的な常識を解体するほどの変革でした。

当然反発も少なくありません。

たとえば、ガリレオは地動説の証明によってローマ教皇庁から異端扱いされ、宗教裁判によって有罪判決を受けています。1633年に下った判決は、約350年も経った1984年になってやっと無罪が証明され、名誉回復が行われたほどです。

このような既存概念の反発を受けつつも科学の発達が進んだのは、前述したようにルネサンスや大航海時代の到来によって、ヨーロッパ社会の世界観が大きく開かれていったからでした。

アジアやアメリカ大陸からもたらされる新しい文化と物資によって、世界観が少しずつ変化していきました。そこに経済の低迷や凶作、反乱などさまざまな困難が襲いきた結果、人々は新しいものの見方や考え方を求めたのです。

科学者や思想家は真理を求める欲求に加えて、世界を変える使命感に突き動かされたのかもしれません。

表面の反発はありつつも、多くの理論や発見が社会に受け入れられ、近代科学へと発展していくことになります。

 

科学革命が近代の技術発展につながった!


このように、17世紀に行われた科学革命はそれまでの社会から異端視されるほどの出来事でした。

しかし、同時にそれまでの既存概念から解き放たれ、多くの発見をもたらすことになったのです。

そしてその実証と論理に基づく科学論は、18世紀の産業革命のような爆発的な技術発展につながっていきます。

科学力と技術力の高度化は、ヨーロッパ諸国が全世界をリードする基盤となっていったのです。

科学革命は科学だけでなく中世までの意識そのものを「解体」し、近代社会を「創造」するパワーの一つになったといえるでしょう。

 
【参考文献/サイト】
・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・世界史の窓「科学革命」http://www.y-history.net/