ルネサンスがもたらした暗黒時代の解体とヒューマニズムの創造



歴史上の出来事を表現する用語のなかには、いろいろな場面でたとえとして使われるものがあります。その1つが「ルネサンス」です。

14世紀から16世紀にかけてイタリアを中心に行われたルネサンスは、古代ギリシアやローマの文化を復活させる目的で行われた社会的な運動のことですが、その歴史上の意義は中世の暗黒時代を解体し、近代社会の礎を作り上げたことでした。

今回は、解体された暗黒時代とはなんなのか。そしてルネサンスがなにを創造したのかをご紹介したいと思います。

 

中世ヨーロッパを覆った暗黒時代とはなにか

暗黒時代という用語は、社会や文化が著しく停滞した時代を表す言葉として使われてきました。

歴史上では、古代ギリシアの一時期と中世ヨーロッパ時代を指すことが一般的とされています。

西ローマ帝国が滅亡した5世紀終わりから14世紀に至る1000年近い期間、欧州では今まで培われた文化が破壊され、ゲルマン民族の移動によって生み出された封建社会とキリスト教の教義に基いた社会観が支配的になりました。

また、世界を動かすような文化的発展が少なく、ヨーロッパ諸国全体が停滞していたとされています。

これが中世欧州の暗黒時代です。

この暗黒時代を終わらせる要因の1つとなったのが、古代の地中海周辺に発達した文化を復興させ、人間性と多様性にあふれた文化を作り出そうとした多くの人の情熱的な運動でした。

 

何度も行われたルネサンス運動

ルネサンスという用語はラテン語で「再生・復興」を表します。初めて使われるようになったのは19世紀からという比較的新しい歴史用語です。

つまり、後世から見たときに歴史の上で「古代ギリシア・ローマで育まれたヒューマニズムや個人主義を蘇らせて、停滞した社会に新しい息吹を吹きこむことを目的として行われた社会運動」のことをいいます。

ですから、厳密には14世紀に始まった社会的運動だけを示す言葉ではありません。

実際、中世暗黒時代といっても1000年間完全に停滞し続けていたわけではなく、各国で古きよき時代の文化を参考に、新たな価値観を作り出そうとする運動はありました。それらはすべてルネサンスと呼ばれています。

たとえば、8〜9世紀のフランク王国のカール大帝が行った「カロリング・ルネサンス」や、12世紀の十字軍によって欧州とイスラム圏の交流が起こった結果生じた「12世紀ルネサンス」など、ルネサンス運動は何度も試みられてきたのです。

そのような各国の流れの中で、もっとも大きな影響力を放ったものが、14世紀から始まったイタリアを中心とした社会運動でした。

 

ルネサンスが解体し創造したもの


ルネサンスは古代ギリシア・ローマ文化の再生を求めた運動でした。では、その求められた文化とは一体何でしょうか。

それはおおまかに言えば「共和政のもとで市民が自由に発信した文化」でした。

古代ギリシアも古代ローマも、現在の民主共和制と比べれば限定的ではありましたが、共和政が採用され、市民階級が自由な発想でのびのびと文化・芸術を作り出していました。

中世欧州が暗黒時代と揶揄されたのは、キリスト教の教義を代表とする1つの価値観が他の文化や芸術を支配気味だったことが挙げられます。

ルネサンスの意義は、多様性を失いつつあった風潮を解体し、個人を基盤にした自由で人間的な創造力を復活させることでした。

その証拠がレオナルド・ダ・ヴィンチを代表とする芸術家や、ニコロ・マキアヴェリといった思想家の台頭です。

14世紀から15世紀にかけて活躍した芸術家・思想家・文化人が産み出した作品は、中世に比べて多様性があり、非常に個性的でした。

このルネサンスによる「古代ギリシア・ローマの文化=共和政の下に発達したヒューマニズム」の復活こそが、後の宗教改革や大航海時代、さらには18世紀の産業改革やフランス革命への基盤になり、近代化の呼び水となったのです。

 
このようにギリシアの共和政治によって生まれた古き良き文化や芸術の復活を通して、中世の価値観や社会観を解体し、ヒューマニズムの種を埋め込もうとした運動がルネサンスです。

それは単純にこの運動を境に欧州がいきなり変わったというような急激な進歩ではありませんでしたが、確実に近代化に繋がる礎となっていきました。

今もなお人々の心を揺さぶるルネサンス期の芸術品は、当時の人々の心にも人間であることの素晴らしさを訴えかけていたのでしょう。それが後世の市民革命や民主運動に結実したのです。

 
 
【参考文献・サイト】
・池上 英洋監修(2012)『ペンブックス18 ルネサンスとは何か。』阪急コミュニケーションズ.
・世界史の窓「ルネサンス」http://www.y-history.net/