「トータル・リコール」 自分を自分たらしめるものとは


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出典:http://cineandcafe.blogspot.jp

今回ご紹介するのは2012年に公開された、「ファンタスティック・ビースト」での好演が話題となったコリン・ファレルの主演作品です。

脇を固める俳優陣にはJJ版「スター・トレック」のジョン・チョウや、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のビル・ナイといった実力派が顔をそろえています。

あらすじは、労働者階級の主人公が記憶を操作されていた事実をしり、自分が何者かという疑問に苦悩しながらも支配階級に逆らっていく…というもの。

記憶にまつわる複雑なストーリーと、息つく暇もないアクションが詰め込まれた本作を、今回も解体と創造という観点から解き明かしていきましょう!

 

自分を自分たらしめるものとは?

主人公ダグラスは、何年も何年も同じ列車に乗って出稼ぎに行っていました。いえ、行っていると思わされていました。実はダグラスの記憶は他者によって植え付けられた偽物だったのです。

ダグラスに記憶が植え付けられてからは、数週間しかたっていませんでした。たった数週間前には全く別人として活動していたのです。元々はハウザーという名前で活動する諜報員だったのです。

この事実を知った時、ダグラスの自己認識は木っ端みじんに解体されてしまいます。ここで一つの疑問が生じるのです。自己認識が壊れたその時、ダグラスはハウザーにもどることができたのでしょうか?

整理すると、ダグラスは3つの状態に分けることができます。
1つ目、政府の諜報員として働くハウザー。
2つ目は、ダグラスとしての記憶を植え付けられたハウザー。つまり、物語初期のダグラス。
3つ目に、ダグラスが「ダグラスではない」という記憶を獲得した状態。

このとき、1つ目の状態と3つ目の状態は全く異なります。つまり、記憶が同一であることを「その人がその人である」ということの条件にするならば、このコリン・ファレルが演じる人物は3つ目の状態に新しく創造されたことになるのです。

 

「その人がその人である」ことに必要な条件とは

3つの状態に分けたところですが、記憶が移り変わってもダグラスは銃の扱いや身のこなしといったことは覚えていました。記憶喪失の人でも自転車の乗り方や食事の仕方は忘れていないのと同じです。

自転車の乗り方や箸の持ち方ひとつ取っても、人間は個性にあふれています。これらの個性を以てして個人を識別するなら、3つの状態を通してずっと同じ人物であったと言えるでしょう。それらの個性が変わらない限り「その人がその人である」ことは解体されていないともいえるのです。

結局、「その人がその人である」ことに必要な条件とは何なのでしょうか?
最後、ダグラスであるかハウザーであるかを迫られた主人公は、今の状態が本当の自分だと答えます。

そもそも人間は日々何かを覚えては忘れていく生き物です。たとえ人為的にいじらなくても何かを忘れていきます。変化こそが人間の常。解体と創造を繰り返し自分を作り上げていくのが人間の常なのかもしれません。

 

体制を破壊すること

物語の大きな流れとして、主人公たちは体制の破壊を目的に活動しています。支配階級と労働者階級に分けられた世界で、労働者階級の解放をもくろんでいるのです。

この大きく分断された世界といえば、現在のアメリカが大きく取沙汰されているのが思い出されます。インテリ層がコントロールし、良くも悪くも見てくれの良い国を宣伝するアメリカ。貧困や閉塞感にあえぎ、一生を地元から離れずに過ごすアメリカ。後者は報道されることなく、現実世界では無視されがちでした。

現在のアメリカを正しいか否かで断ずることはできません。同じように、主人公たちが銃と暴力で成し遂げた独立を正しいか否かで断ずることはできません。体制の破壊が明日の礎となれば、それに越したことは無いでしょう。しかし、築かれたものが理想郷であるという保証はどこにもないのです。

ずっと望んでいたはずの自由を突然手渡された労働者階級の人々は、その上にどんな世界を築き上げるのでしょうか?

自分が何者か、という問いは、どんな社会にするか、どんな国にしたいかという問いにも通じてきます。正しい人間でありたい、というのは簡単です。多くの人がそう願い、正しい世界にしたいと願っています。しかし、正しさは人それぞれ。その事実を認め、自分が何者であるかを問い続けなければならないのではないでしょうか。