覇権国家の「解体」と国際平和機構の「創造」~パックス・ブリタニカの終焉と国際連盟の設立


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古くはローマ帝国、中世にはモンゴル帝国、そして20世紀のアメリカ合衆国と、時代ごとに世界における覇権を握り、政治的・経済的な影響力を及ぼした国々があります。こうした勢力が卓越しているときには全世界的に平和がもたらされたことから、「平和」を意味するラテン語「パックス」をその国の名前につけてその時代を呼ぶことがあります。

今回は数ある覇権国家のなかでも、その「解体」が新時代の「創造」に結びつくこととなった、イギリスによる「パックス・ブリタニカ」に注目して解説していきます。

 

パックス・ブリタニカの時代

「パックス・ブリタニカ」のはじまりの時期については諸説ありますが、イギリスが世界に先駆けて産業革命を遂げ、「世界の工場」と呼ばれるようになった1850年頃とすることが定説とされています。

この時代のイギリスは、産業革命による高い工業力だけでなく、19世紀初頭のナポレオン戦争によって強大化した海軍力をも誇り、さらにインドや中国、アフリカへと大英帝国の版図を広げつつありました。名実ともに世界における覇権を取り、まさに全盛期だったと言えます。

 

パックス・ブリタニカの「解体」と第一次世界大戦

ところが、イギリスが覇権を独占する時代はそう長くは続きませんでした。19世紀後半に入ると、新興国であったドイツやアメリカでも工業化が進み、イギリスを追い上げてきたのです。

このことは、特にヨーロッパでの勢力バランスに影響を与えはじめました。当時、イギリスとフランスが中心となって世界各地での植民地競争を繰り広げていましたが、この時期にはそれぞれの版図が定まりつつありました。
しかし、勢力を伸ばしつつあったドイツは自らもこの植民地競争への参入を図ったのです。

そして、イギリスはドイツと対立することとなります。イギリスはドイツ対策としてフランスやロシアとそれぞれ同盟を結び、ドイツはオーストリアやイタリアと同盟を結びます。

1914年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたことを発端として第一次世界大戦に突入し、パックス・ブリタニカは解体、つまりヨーロッパにおける平和に終わりが訪れたのです。

 

国際平和機構による秩序の「創造」

4年にわたり続いた第一次世界大戦は900万人以上の戦死者を出し、ヨーロッパを焦土にしました。

前代未聞の戦災は、ヨーロッパの国々を物理的に破壊しただけでなく、多くの王家や帝国の没落をもたらし、世界秩序をも破壊しました。
こうした事態を目の当たりにした国際社会には戦争への忌避感が広がります。

そして、戦後の国際社会の目が平和協調に向けられ、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」が設立されます。歴史上初めて、特定の国家ではなく、国際平和機構による秩序構築が目指されたのです。

残念ながら、設立からわずか20年で第二次世界大戦という未曽有の悲劇に突入してしまい、国際連盟は平和を守ることができませんでしたが、その理念は1945年に設立された国際連合に受け継がれ、現在に至るまで国際平和の維持・構築に努めています。

 

いかがでしたか?

歴史を振り返ると、たしかに超大国が覇権国家となることで世界に平和がもたらされたことは事実です。
しかし、残念ながらそうした平和は長くは続かないものです。一番長く続いたとされるローマ帝国によるパックス・ロマーナでさえ、200年程度で終わっているのです。

第一次世界大戦に向けたヨーロッパ諸国の対立はパックス・ブリタニカの「解体」をもたらしましたが、その解体によって起きた戦災は、国際平和機構による秩序構築をする新時代を「創造」したのです。

国際平和機構が設置されてからの歴史は長くはありませんが、国際社会が協調することによる平和実現への期待は高いです。