クレオパトラの魅力に翻弄されたエジプトとローマ~古代エジプト王朝の「解体」と帝政ローマの「創造」


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「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」

これは、「人間は考える葦である」などの名文句で知られるフランスの哲学者パスカルのことばです。

クレオパトラの美貌が多くの男たちを惑わし、古代エジプト王朝とローマの運命に影響を与えたことを示唆するものです。現在ではクレオパトラの美貌については疑問が持たれていますが、それでもなおローマの男たちを魅了したことは確かだと言われています。

それでは、クレオパトラの魅力がどのように古代エジプト王朝の「解体」と帝政ローマの「創造」に影響を与えたのかを解説していきましょう。

 

古代エジプト王朝とクレオパトラ

クレオパトラは、今から約2000年以上前のエジプトで、古代エジプト・プトレマイオス朝の王女として生まれました。

当時、プトレマイオス朝では王位をめぐる争いが絶えず、さらに共和政ローマでも内乱が頻発し、情勢はとても不安定でした。

クレオパトラが18歳のときに、父であるプトレマイオス12世が亡くなり、クレオパトラは弟のプトレマイオス13世と結婚して共同統治をおこないます。
王位についたクレオパトラは、当時勢力を伸張していた共和政ローマとの同盟をめざしますが、弟王はローマからの独立をめざして反発し、やがて弟王はクーデターを起こし、クレオパトラと戦うこととなります。

折しも、エジプト入りしていたカエサルは両者の和解を図りますが、クレオパトラはカエサルを魅惑し、カエサルの愛人となってしまいます。

カエサルを味方につけたクレオパトラは弟王や反発する勢力を掃討して再び王位を得て、カエサルも共和政ローマの終身独裁官としての地位を得ます。

クレオパトラの死、そして古代エジプト王朝の「解体」

しかしその幸せは長くは続きませんでした。まもなくカエサルは暗殺されてしまうのです。

すると、クレオパトラはカエサルの元部下であるアントニウスに接近します。
アントニウスはカエサルの後継者と目されていましたが、実際はカエサルの姪の子であるオクタヴィアヌスが遺言によって指名されたため、アントニウスはオクタヴィアヌスに対抗することとなります。

アントニウスもまた、クレオパトラに魅了されるのですが、ローマ市民のあいだでは「エジプト女に骨抜きにされた」という批判が高まります。

これを好機とみたオクタヴィアヌスはアントニウスに宣戦布告し、「ローマ対エジプト」という構図のアクティウム海戦に突入します。アントニウスはこれに敗れ、クレオパトラを追って敗走することとなりました。
そのような中、アントニウスはクレオパトラが自殺したという知らせを受け、自らも自殺を図ります。

実はクレオパトラの自殺は誤報だったのですが、結局クレオパトラもオクタヴィアヌスに屈することを拒んで自殺に至ります。

勝利したオクタヴィアヌスはプトレマイオス朝を滅亡に導き、エジプトをローマに編入します。こうして、古代エジプト王朝は「解体」されました。

帝政ローマの「創造」

ローマにもどったオクタヴィアヌスはその功績を称えられ、「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を贈られ、元老院より国の全権を委譲されました。帝政ローマの「創造」および初代ローマ皇帝アウグストゥスの誕生です。

こうして生まれた帝政ローマはやがてヨーロッパ・北アフリカからメソポタミアまでの広大な領土を持つ「ローマ帝国」として世界に君臨し、「パックス・ロマーナ」と呼ばれる繁栄の時代を実現するのです。ローマ帝国は東西分裂を経て、1453年にオスマン帝国に敗れるまで存続することとなります。

 

クレオパトラは次々にローマの男たちを魅了し、その男たちの運命を変えてしまいました。
もしかしたらカエサルもオクタヴィアヌスもクレオパトラに出会わなければ違った将来があったのかもしれません。

一方で、古代エジプト王朝もクレオパトラがいなければすぐにローマの支配下に置かれていたかもしれません。
もしかしたらローマ帝国も誕生せず、違った歴史が繰り広げられた可能性だってあります。

裏を返せば、古代エジプト王朝の「解体」と帝政ローマの「創造」がドラマチックになったのはクレオパトラの魅力によるものだと言えるでしょう。

すべては「クレオパトラの鼻が高かったから」ということになるかもしれませんね。