キリのない収集癖を壊し、こころにも経済的にも部屋のスペースにも余裕が


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出典 http://www.amyvolk.com/

今日も日本のどこかで解体が起こっているようですが、それは、建物だけでの話ではありません…

「今日の私の壊しました!」と題してエピソードを募集したところ、持ち物、人間関係、悪い癖など、たくさんの人が葛藤しながら何かを壊し、そして現状を変えようと努力していることが分かりました。

この解体エピソードをシェアすることは、きっと似たような悩みを持つ人の助けになります。
温かい話、ちょっと笑える話、元気が出る話、様々な皆さんの今日の壊したエピソードをご紹介していきます。

今日はHさんの、長年集めていた雑誌のコレクションを思い切って捨てたことによって部屋も広くなり、経済的にも精神的にもスペースができた、というお話をご紹介します。

大量の雑誌のコレクションを捨てた

僕は膨大な量の雑誌類を思い切ってひとまとめに処分しました。僕は長らく、毎月さまざまな「週刊◯◯」という雑誌を買い続けていました。
週刊スタートレックファクトファイルや週刊北斗の拳DVDコレクション、雑誌だけでなく漫画や単行本も全て処分しました。

何かをコレクションし続けるということはエンドレスで、行為に終着点がありません。

というより僕は、”集める・揃える”とはそもそも何なのかを、改めて見つめなおしたのかもしれません。初めのうちは雑誌そのものの内容が面白くて読んでいたのですが、途中から目的が変わってきていたような気がします。

つまり、僕は雑誌そのものが欲しいのではなく、”集める・揃える”という行為に執着していたのです。毎月僕の好きな「週刊◯◯」を絶対手に入れなければ、と、半分強迫神経的に集め続けていたような気がします。

そして集めれば集めるほど、その思いは強くなっていきます。

 

新たな始まりの時期は、必ず気持ちがザワつく

これまでの雑誌類を思い切ってすべて処分したあと、一口では言い表せない気持ちになりました。
呆然とした気持ち、少し悲しい気持ち、本当に捨ててしまってよかったのだろうか、という後悔にも似たような気持ち、また自分の中で新しいステージに入ったようなワクワクする気持ち、と、ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちが入り混ざったような気分です。

今でも空いたスペースを見る度に、悲しい気持ちがこみあげてきます。
それと同時に、「これでよかったのだ」という気持ちも後から追いかけてきます。今はその二つの気持ちを行ったり来たりしています。

長年に渡り「大好きなアニメやドラマの情報誌を買い続け、集めてきた自分」というアイデンティティが壊れてしまったことに、戸惑っているのだと思います。
これまでの何年かの自分を表す行為の証が、ぼっかりなくなってしまったのです。

 

経済的、部屋のスペースにも余裕ができ、”コレクションしている自分”というアイデンティティを破った

まず第一に処分したことによって得られたことは、経済的に余裕ができ、部屋のスペースが広くなったことです。
第二に、自分の内部の断捨離です。

経済的にもこれまでかけてきた金額は相当なものになっているでしょう。
一つの雑誌を買い続けるのに数十万かかるでしょうか、とにかく大金を雑誌につぎ込んでいたと思います。

そして内部の大掃除をできたことの方が断然インパクトが強かったです。
行為と目的、そして自己が知らぬ間に一体化してしまっていたのを、そこから自分をベリベリっと剥がして捨てたのです。

もちろん、経済的に余裕ができたこともとても嬉しいです。今まで雑誌につぎ込んでいたお金を、他のものに回せるようになりました。
それに部屋もだいぶすっきりして、部屋のほとんどを占めていた物がなくなったことで、気分も爽快です。

経済的にキツイな、キリがないな、と思い始めたのが今回の断捨離のキッカケでしたが、コレクションという行為の”そもそもの動機”に辿り着くことができ、自分を整理できた気がします。

処分するという行為によって気付かされたのではなく、実は僕の無意識がもしかしたら集め続ける自分にうんざりしていて、断捨離に突き動かしたのかもしれません。

つくづく、破壊と創造は同一のものである、と思いました。