獣の心が溶け、愛に気づいた瞬間 〜映画「道」〜
出典 http://variety.com/2013/film/
彼は獣だった
この映画は、ひとりの男が人間になるまでを描いています。人間になる前の彼は、獣でした。食欲と肉欲のみに突き動かされ、盗もうが殺そうがへっちゃらでした。世界にひとりきりになっても生きてゆけると思っていたのです。
そんな激烈な古い自己が、どのように解体されるのか?犠牲が欠かせません。重い重い犠牲が。
あらすじを追いながら、その解体の瞬間をご紹介いたします。
男、女、綱渡り師
男の名はザンパノです。大道芸人。鎖ちぎりを生業としています。粗野で下品。気に入らぬことがあれば腕力に頼ります。誰になんと思われようが平気で、飲み、食い、女を求めます。
彼が小銭で買いたたくのが、少女ジェルソミーナです。彼女は軽度の知的障害を持っています。彼は彼女を旅の奴隷とします。飯を炊かせ、客寄せをさせ、女にありつけぬときはその肉体を利用します。枝で作ったムチで脅しながら。施された客寄せ用のピエロメイクが、彼女のあわれさを引き立てます。
なにをやらせても不器用な彼女は、「生きてる価値がない」と泣きます。すると別のサーカスにいた、ひとりの綱渡り師が、彼女を励ましました。
「誰だってなにかの役には立つ。そもそもお前以外に、誰があんなやつを愛せる?」
そして彼女にラッパで、この映画のテーマである一曲を教えます。
ジェルソミーナは、それからザンパノに献身的に尽くすようになります。一方のザンパノも、いぶかしがり、うっとうしがりながらも彼女を放り出しはしません。時々、ふたりのあいだにあたたかな気配が生まれているのに観客は気づきます。彼女のラッパが、ふたりを祝福します。
しかしそれも、ザンパノが綱渡り師を死なせてしまうまででした。半分事故で、半分故意に。ジェルソミーナが綱渡り師を慕うのに、やっかんでいたのです。そんな気持ちは、彼には到底自覚できないものですが。
ジェルソミーナは急激に精神状態を悪化させます。うわごとを言います。仕事などできません。そしてザンパノに近づかれると、大声で悲鳴を上げるようになります。
ザンパノにはどうしたらいいのかわからない。はじめて他人の体を心配します。他人に自分がどう思われるか気にします。ジェルソミーナに悲鳴をあげられると、不器用にうろたえます。
このままでは仕事ができません。道端にうずくまり、彼女はいつまでも動かない。ついに彼は言います。「置き去りにするぞ」。彼女の反応はなし。
次のカットで、彼は実際に彼女を道端に残してその地を離れてしまいます。しかし彼が立ち去ったあとには、煙草の吸殻が十本以上残されていました。彼はそれだけ迷ったのです。いずれにせよ、彼は狂ったジェルソミーナを捨てました。
そして映画はクライマックスへ突入します。解体の瞬間が描かれます。
そして映画史に屹立するラストシーン、解体の瞬間へ
少し老いたザンパノが画面に映ります。海沿いの街。相変わらず大道芸人として各地を転々としているのです。しかし隠しようもなく肉体は衰えています。
そこに風に乗り、聞き覚えのあるメロディが聞こえてきます。ジェルソミーナがラッパで吹いていた曲です。ザンパノは駆け出します。鼻歌を歌っていた女に問いただします。
「五年前にここで死んだ狂った女が、よくラッパで吹いていた曲ですよ」
その夜、ザンパノは酒を飲んで暴れます。そして自分に言い聞かせます。「ひとりが好きなんだ。友達なんか欲しくない」。それから砂浜に出ます。
膝から崩れおち、手を砂に突っ込んで彼は嗚咽するのです。自分の踏みにじったもののかけがえのなさを、彼はようやく知った。孤独を初めて実感し、愛というものを初めて自覚したわけです。
この嗚咽こそ彼が解体された証です。獣そのものだった彼が、人間性を手に入れた。人間になった証拠です。彼女はもういない。彼の余命もわずかだ。それでも彼は愛を知った。
彼の解体と再創造、重い重い犠牲と引き換えの、まぎれもない大成長を、彼女のラッパの音色が祝福しながら映画は終わるのです。