映画 宇宙戦争における破壊のリアリズム


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出典 http://www.geocities.jp/ifukusaki120/tkroommo/wow.htm

 

監督にスティーブン・スピルバーグ、製作と主演にトム・クルーズという豪華なメンバーをそろえ製作された映画「宇宙戦争」。

興行的には大成功を収めましたが、その評価は賛否が分かれることになった作品です。別れることになった原因のひとつに「あまりにもトム・クルーズがあっていない」ということがよく挙げられます。

今回はその真意から製作側が狙った意図についてみていきましょう。

 

なぜトム・クルーズは合わなかったか?

トム・クルーズと言えばハンサム、イケメン、二枚目……。

とにかく「かっこいい」という評判の俳優です。

あと10cm背が高かったら世界は変わっていた、などと言われることがあります。(170cmなので決して特別低いというわけではありませんが、やはり俳優たちと並べると低く見えてしまいます)

ちなみに本名はトーマス・クルーズ・メイポーザー4世となんだか名前までかっこよく、50歳を過ぎてなおあの若々しさを保っているというとんでもない俳優です。

命を賭して3分間潜水するシーンの撮影のために練習して、ついには6分間潜水できるようになったなんて聞いた日にはどんな顔をすればいいのかわかりません。

そんな彼が本作で演じるのは、港湾で働き離婚を経験し子供たちからはなめられているダメ親父。

先ほど上げたエピソードから、どれだけトム・クルーズがダメ親父役に向いていないかはおわかりいただけるでしょう。なんでもできるような顔をしているのにダメ親父。

説得力が生まれるはずがありません。

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出典http://ocnis.petit.cc/lime/20111110231336.html

さらに港湾労働者という設定が拍車をかけています。

映画などにおける港湾労働者とは、荒くれものや乱暴者といったタイプを示すアイコンです。仕事ができるような設定は描かれていますが、これが恐ろしくトム・クルーズのイメージとかけ離れているのです。

もちろんトム・クルーズだって一流の役者ですから「コラテラル」や「トロピックサンダー」で見せる荒くれもの・乱暴者の演技は素晴らしいです。

しかしそれらの場合はメイクや衣装でそれらしく見せ、トム・クルーズの優しげで精悍な顔を隠した上での演技です。

だからこそトム・クルーズのイメージが一種のスパイスとなって荒くれもの・乱暴者のイメージにより説得力が出ているのです。

「宇宙戦争」ではそれらが一切ないのでトム・クルーズのイメージが先行してしまい齟齬を生み出しています。要は映画を見慣れている人は「そんな港湾労働者いるかよ」と考えてしまうのです。

しかし、それは映画などの創作物の話です。実際の港湾労働者には優しい顔つきの人だっているでしょう。それこそトム・クルーズのような二枚目がいたところで何も不思議ではありません。

やろうと思えばもっとあからさまにトム・クルーズをステレオタイプの港湾労働者に仕立てることもできたはずです。ですが、あえてそれをしませんでした。

製作期間であるとか、契約内容であるとか、実際の事情はそんなところかもしれません。

それでも私は「創作物としてのエンターティメント性よりもリアリティを追い求めた結果のトム・クルーズ像の破壊であり、港湾労働者像の破壊である」と考えたいのです。

事実は小説よりも奇なり、という言葉の逆をとれば、私たちが事実として認められるのはそれが実際よりも単純な場合であるということになります。

つまり、創作物にリアリティを持たせるときにはある程度のステレオタイプを埋め込んでいくことが必要となるのです。あまりにも現実に即している設定は逆にリアリティを失うのです。

異星人が地球誕生時から潜んでいて侵略のタイミングを伺っていた――などというそのまま作ればリアリティの無い作品にできうる限りのリアリティを持たせようとした結果が、トム・クルーズ演じる港湾労働者なのではないでしょうか。

 

リアリティのある破壊を描く理由

ではなぜSFであるのにリアリティにこだわるのでしょうか。

サイエンス・フィクションという名のとおり鑑賞側はもうフィクションであることは織り込み済みですし、多くの人がリアリティよりもエンターテインメント性を求めているジャンルであることは間違いありません。

リアリティを優先した理由として考えられるもののひとつに、9.11があります。2001年9月11日に発生した史上最悪のテロ事件は、本作に大きな影響を与えました。

誰もが世界最強だと信じて疑わないアメリカ軍は手を出せず、続々と入る情報をただ受け取るしかない恐怖。なにもわからないまま呆然と煙を上げるツインタワーを見ていたとき、新たな航空機が衝突した衝撃。時がたち事件の全容が明らかになるにつれ、現実感をもって迫ってくる悲しみ。

スピルバーグ監督はこういった感情をこの映画に入れ込みました。

主人公たちが初めに身を寄せていた家に落ちてきた航空機の残がいや、行方不明人を探す張り紙は、9.11の光景から取り入れられたものです。

トム・クルーズ演じるレイ・フェリエの娘レイチェルを、ダコタ・ファニングが演じています。

このダコタ・ファニングの演技には思わず耳をふさぎたくなる人もいるかもしれません。彼女はひたすら叫びます。レイや兄のロビーがいくらなだめ、静かにしてくれと言っても泣き叫びます。

これこそが恐怖なのです。彼女の叫びはあまりにもそのまま混乱や恐怖を伝えてきます。

エンターテインメント作品としては失敗であったかもしれません。物語の筋もただ父と子が逃げ惑うだけですから、単調とも言えるでしょう。

しかしこの作品の価値はあまりにもリアルな恐怖の描写にあります。監督が伝えたかったメッセージはここにあるのです。

 

救いの話

なんだか暗い話ばかりになってしまいましたので、少しこの物語における救いの話をしたいと思います。

リアリティを追及して作られた作品ですから、はっきりとセリフで語られるような変化ではありません。

しかし、確実に表現された救いです。

それはレイのダメ親父像の解体です。話の筋を一言で言ってしまえば、父親と子供の逃亡劇です。

その中で子供を守ろうと必死な父親の姿を目にし、子供たちは父親への評価を改めていきます。

最後、彼らは比較的被害が少なく母親が待つボストンへたどり着きます。無事な姿を見せた母親に、レイチェルは飛びつきます。

そこには途中ではぐれたロビーもいました。子供の母親や、祖父母、再婚相手がそろった玄関ポーチにレイは近づくことができません。

母親、つまり元妻が近づいてくることもありません。普通の映画なら感極まって抱き合うかもしれませんが、リアリティの塊ですのでそんなことは起こりません。ただ立ち尽くすレイにひとり近づくのはロビーでした。

レイとロビーは再会を喜び、しっかりと抱きしめあいます。この抱擁が、あらゆるものが破壊されつくしたこの映画で唯一新たに構築された「父子の信頼関係」の象徴なのです

 

「宇宙戦争」が見せてくれる恐怖は、本物の恐怖です。

それが故にエンターテインメント作品としては評価が分かれている作品となっています。映画でくらい現実の恐怖から目を背けたいという気持ちはよくわかります。

しかし、あえてこの作品とあのテロ事件を重ね合わせて見たときに、きっとこの映画が持つ意味が分かります。

余談ですが、作中アメリカ軍が手も足もでない敵機に対し「大阪じゃ何体か倒したらしいぞ」という会話があります。日本でもなく東京でもなく大阪。

しかもトム・クルーズをもってしても一機しか破壊できなかったものを何体も。大阪人はいったいどうやって倒したのでしょうか……。

日本人なら一度は聞いておきたいセリフのひとつです。