人の死の上に何を築くか 『スター・トレック』で別れた明暗


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出典 http://yaplog.jp/sool55/archive/15

人の死は、避けて通るこのできない悲しい出来事です。しかし死があるからこそ、我々は有意義に生きられるのだともいえます。そして大切な人の死は、周囲に大きな変化をもたらします。

良い変化、悪い変化、ひと口には語りきれない複雑な変化。それらの礎になる可能性を秘めています。だからこそ、映画では多くの人の死が語られます。人の死、人の命の解体は、何かを築き上げる礎の最たるものです

今回ご紹介する作品『スター・トレック』も人の死の上に成り立つ作品です。『宇宙大作戦』を踏襲しつつ別のパラレルワールドの作品としてJ・J・エイブラムスによって製作されました。

 

父の死によって生まれたジム・カーク

この物語の主人公であるジェームズ・T・カーク(ジム)の命は、父親であるジョージ・カークの死の上に成り立っています。宇宙船USSケルヴィンに搭乗しているジョージ・カークは、同じく搭乗している妻とそのお腹にいる子供の誕生を待ちながら宇宙を旅していました。

しかし突如、ロミュラン人・ネロの攻撃を受けUSSケルヴィンは撤退を余儀なくされます。その途中ジョージは12分間だけ船長となり、妻と避難する中生まれた子供を含む800人の船員たちの命と引き換えにこの世を去りました

パイク提督はそんなジョージの行動を研究し「無鉄砲であり、勇敢である」と評し、そのような人物が宇宙艦隊に少なくなったことを憂いていました。そんなとき、酒場でケンカに明け暮れるジム・カークを発見します。カークは荒くれものの養父に育てられたことで、喧嘩っ早い激情家に成長していました。そんなカークの中に父親のような勇敢さを見出したパイク提督はカークを宇宙艦隊に勧誘。かくしてカークは宇宙艦隊候補生となったのです。

父親の死がなければカークがこの世に生まれることはなく、激情家のカークも生まれませんでした。本作はパラレルワールドを描いた作品です。ではオリジナルの「宇宙大作戦」でのカーク船長はどう描かれているのでしょうか?

実は、宇宙大作戦でのカーク船長は誠実な人物として描かれています。父親も存命で、宇宙艦隊に入ったのも父親に影響されたのだと語られています。それはカークが思い描く理想の親子だったかもしれません。しかし、それは別の世界での話です。この世界のカークには父親を失い激情家に成長したカークが必要だったのです

 

連鎖する構築

訓練を受けるカークたち宇宙艦隊士官候補生たちのもとに、バルカン星への救出ミッションが言い渡されます。

カークたちはUSSエンタープライズに搭乗。エンタープライズで知ったその状況はジョージが死んだときに酷似していました。父の死に関係があると勘づいたカークは船長であるパイク提督を説得。

しかし応戦も空しく、時空を超えてやってきたネロたちにバルカン星は破壊されてしまいます。

ここでまた、大切な人の死が描かれます。後にカークの友人となる、バルカン人と地球人のハーフであるスポックの母親の死。そしてスポックの故郷であるバルカン星の死です。

しかし、感情を制御し理性を重んじるバルカン人の血を引くスポックの変化はまだ見ることができません。また、パイク提督をも敵艦に捉えられてしまい、カークとスポックは衝突。カークは船外追放されてしまいます。

追放先でカークは未来から来たスポックと遭遇し、自分の父親の死もネロによる仕業であることや、ネロもまた肉親を失ったことを知るのです

船にもどったカークは、スポックの感情に揺さぶりをかけます。親が死んだこと。故郷がなくなったこと。それに対して何も思わないのか?これは父親を亡くしているカークだからこそ、説得力が生まれたと言ってよいでしょう。誰もが知るジョージの伝説的な死は、もちろんスポックも知っていました。そしてバルカン人と地球人のハーフであるスポックは地球人である部分の感情を揺さぶられ激昂。感情的に破たんしたと判断し自ら船長代理の職務をカークに譲り渡します。

新造艦であるエンタープライズの乗員たちはどこかぎくしゃくしていました。しかし、カークとスポックの感情のぶつかり合いを目の当たりにしたことで一気に結束を強めていきます。どこか異質だったスポックにも感情があるとわかり、仲間としての結束を強めることになったのです。

勇敢さという父親の性質を受け継ぎながらも、父親の死によって激情家へと成長したカーク。そのカークの性質のおかげで感情をあらわにしたスポック。そしてそんなふたりを見て結束を強めたエンタープライズの乗員たち。

ネロに打ち勝つために必要なすべての要素は、カークの父・ジェームズの勇敢な死によって築かれたものだったのです

 

死の上に築かれた暗いもの

しかし、死という命の解体によって築かれるものがすべて明るい方向に向かうものであるとは限りません。カークもパイク提督と出会わなければ田舎町でケンカに明け暮れる日々を送っていたことでしょう。

ネロもまた、大切な人の死を経験した人物です。ネロは超新星爆発によって妻子と故郷を失いました。ネロはその礎の上に復讐心を築き上げたのです

この点が、ネロが悪役でありカークやスポックが悪役にはならなかった理由です。

カークやスポックは、肉親たちを殺したネロに対して復讐することはありませんでした。最後のその時ですら救援を呼びかけました。

大切な人の死の上に何を築き上げるか。それこそが本作で問われているテーマなのではないでしょうか

 

今回は大切な人の死を命の解体と読んでみていきました。いかがでしたでしょうか。大切な人の死、といえば本シリーズで年若い天才チェコフを演じたアントン・イェルチンの死が浮かびます。

今年の6月19日に不慮の事故により27歳の若さでこの世を去りました。これからが楽しみな若手俳優だっただけに悔やまれます。

J・J・エイブラムスはチェコフ役を新たにキャスティングすることは無いと明言したため、10月に日本公開が予定されている『スター・トレック ビヨンド』でチェコフは見納めとなってしまいます。

年若い才能の死の上に何を築き上げるのか。今、すべてのスター・トレックファンに問いかけられているのかもしれません