ハートロッカー 破壊と解体と構築は何が異なるか?


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出典 http://cinema-league.blog.jp/archives/1019382893.html

 

本作の舞台はイラク戦争直後の2004年バグダット郊外です。主人公はジェレミー・レナー演じるウィリアム・ジェームズ一等軍曹。彼らが率いるチームの任務は路上などに仕掛けられた爆発物の解体処理です。

爆発物によってもたらされる破壊、それを防ぐための解体、そして解体と破壊を専門とするウィリアムが試みた構築についてみていきましょう。

 

爆発物によってもたらされる破壊

本作において主人公たちの爆発物処理班が取り扱う爆発物は、即席爆発装置と呼ばれるその場にある材料で作製された爆弾です。

イラク戦争では不発弾や地雷を流用した破壊力の高い爆弾を作る技術が広まってしまいました。また、ありあわせの材料で作られているためその破壊力は手りゅう弾レベルから対物地雷レベルまで様々です。

爆弾が仕掛けられる目的は様々ですが、作中では主に人命を奪う目的で描かれています。

では、誰の命を?一体誰と誰が闘っていたのでしょうか?

イラク戦争は非常に複雑な構造をしていますが、平たく言えばアメリカをはじめとする有志連合とイラク軍の戦争です。舞台となっているのはすでに戦争が大方終結しアメリカ軍による占領統治が始まっていた時期です。

占領が完了していますからアメリカ軍はもちろん、バグダット郊外には普通に暮らしている市民がいます。

そこへ爆弾を仕掛けるのは市民に化けたゲリラ兵やテロ組織です。

作中何度も出てくる描写があります。英語が通じない現地民へ、アメリカ軍が必死に「危険だからはなれてくれ」と呼びかけるのです。その市民が爆弾の起爆装置を持っているかもしれないという疑念を抱えたまま、主人公は爆弾処理へ向かっていきます。

もちろんアメリカ映画ですからアメリカ寄りの視点で作られた映画であることは想像に難くありません。だからこそ私たちは想像しなくてはなりません。イラクが抱えていた、イラク国民を犠牲にしてまで突き通さなければならない大儀とは何だったのかを。たとえそれがテロ組織と呼ばれる組織によるものだったとしても、決して考える価値の無いものではないはずです。

 

破壊を防ぐための解体

ウィリアムたちの仕事は爆弾による破壊を防ぐための、爆発物の解体です。ウィリアムはチームリーダーであり、手で処理しなければならなくなった時に防護服を身にまとい爆弾に向かっていく役目を担っています。彼のスタイルはスタンドプレイが目立ち、チームメイトからは反発心さえ抱かれていました。

しかし彼の圧倒的な処理能力で次第に一目置かれる存在になっていきます。

彼のスタイルにはある特徴があります。

本来ならば人の手による解体は最終手段です。始めは銃で撃ち抜き爆破、もしくはロボットによる爆破解体がセオリーです。

しかしウィリアムはさっさと防護服を着こみ、周囲の索敵を仲間に任せて己の手で爆弾に挑んでいきます。その理由は作中でははっきりと示されません。爆弾に触れるスリルの虜になっているのか、それとも街への被害を最小限に留めるためか

爆弾は時を経て巧妙化していきました。始めはただ路上に置かれていた爆弾は、次第に物陰へ、車中へ、動物の死骸の下へ。ついには子供の死体の中へ。

子供の死体に隠された爆弾を発見したとき、ウィリアムのチームメイトは発見場所である爆弾製造所ごと爆破することを提案しました。しかしウィリアムはそれをキャンセルし、解体処理を選びます。
この行動に、ウィリアムが解体を選ぶ理由が現れているのではないでしょうか。

 

ウィリアムが試みた構築

物語は進み、ついにウィリアムは任期をおえて本国アメリカへ帰投します。アメリカでウィリアムを待っているのは離婚した元妻と子です。一度はきちんと築こうとした、暖かい家庭のいびつな残骸がそこにはあります。

ウィリアムは、本国で過ごす間普通の家族のようにふるまいます。きっとなにも知らない人からすれば離婚などしていないような自然さで、家族とともに過ごしています。

しかし、ウィリアムが構築に失敗したことを示す描写がいくつも出てきます。なかでも象徴的なものはスーパーでの買い物です。

店内を見て回ったウィリアムは、結局ほとんどなにもかごに入れず元妻と合流します。そこで元妻から、軽く「シリアルも買っておいて」と頼まれます。何気ない、軽い頼み事です。離婚したとはいえお互い憎からず思っている相手です。なにも気にすることなく、自然に出た言葉です。

たったそれだけのことが、ウィリアムには困難でした。多すぎる選択肢に迷い、途方に暮れて、結局何もわからないまま適当に箱をつかみ、かごに放り込みます。

もはやウィリアムは戦場でしか生きられなくなっていたのです。普通の、暖かい家庭の構築に失敗したからなのか、あるいは家庭の構築に失敗したから戦場でしか生きられなくなったのか。どちらにせよ残ったのは戦場でしか生きられないウィリアムでした。

 

破壊と解体、このふたつは似ているようでその後ろに隠された感情は正反対です。

そして構築は、さらに異なるものです。もしも、ウィリアムが軍に入ることなく民間企業に勤めていたら、きっと暖かい家庭を築くことができたでしょう。それでなくとも、少なくとも元妻のもとに身を寄せるという歪な関係は発生しなかったでしょう。

しかし、戦場はウィリアムを求めています。ウィリアムがいなければいくつの命が失われたかわかりません。

本作はフィクションですが、実際に起こりうることです。様々な人生を破壊するに値する戦争の意義とは、大儀とは、いったい何なのか。

それはきっと私たちひとりひとりが考えなくてはならないことなのでしょう。

最後にウィリアムが自身の息子に語り掛けたセリフを引用したいと思います。

『年を取ると好きだったものも、それほど特別じゃなくなる。このオモチャも…ただのブリキとぬいぐるみだって気づく。そして大好きだったものを忘れていく。パパの年になると、残るのは1つか2つ。…パパは1つだけだ。』

最後の1つは、家族でしょうか。それとも爆弾解体なのでしょうか。たったひとつの大事なものを抱え、ウィリアムは再び戦場へと戻っていきます。また1年、爆弾と向き合うために。