「解体」こそ「創造」である 遷宮(せんぐう)の意義と功績


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ギリシャのパルテノン神殿や、エジプトのピラミッドを見ると羨ましく思うことがあります。

石造りの文化だと、紀元前の建物がそのまま保存され、色彩こそ褪せてはいるものの、往時の姿をそのまま楽しむことができます。特にこの地域は乾燥して地殻変動なども少ないですから、地形そのものもあまり変わっていないということです。

一方日本は高温多湿なうえ、木が支える文化です。大きな建物であっても、その大半は朽ち果ててしまいます。そして往時をしのべるものといえば巨大な柱を支えた礎石が残っているだけという場合が多いですね。

神道では一定の期間に社殿を「解体」し、新たな社殿の「創造」を繰り返す「遷宮」という儀式があります。一見資源を無駄にしているように見えます。

けれども木造建築が多く気候の影響で建物が朽ちやすい日本だからこそ、遷宮の持つ文化的意義はとても大きいのです。

 

遷宮は治水治山に貢献

遷宮でもっとも有名なのは、先日G7サミットが開催された伊勢神宮だと思います。

伊勢神宮では20年に一度、定まった年に社殿を作り替えます。このように建て替える期間が定まったものを特に「式年遷宮」というのです。

伊勢神宮ではすべての社殿だけではなく、宇治橋や主要な建造物がほとんど新しいものに建て替えられ、1万本以上のヒノキを使用するそうです。「もったいない」という声が聞こえそうですね。

実は式年遷宮のためにヒノキを育てる場所が、長野県と岐阜県をまたがる山の中にあります。林業で大変なのは、広大な山中を間伐し、計画的に大きな木を育てることでしょう。

大変な重労働ですが、この労働がダムを建設し、崖面をコンクリートで覆わなくても、治水や治山に貢献してきたのです。またこの間伐で出た木材は、割り箸などで再利用されています。

社殿の「解体」を前提として、自然を維持し「創造」していく、これが遷宮の持つ意義の一つです。

 

古来より存在したリサイクルという概念

伊勢神宮の社殿を「解体」した際に出る廃材は、全国の神社を建て替える際の木材として再利用されます。「リサイクル」という言葉が存在しない時代から、日本はリサイクル社会を実現していたのはあまり知られていません。

日本には無数の神社がありますが、老朽化に伴う建て替えごとに周囲の森林を伐採するのではなく、木材一欠片といえども無駄なく伊勢神宮の廃材を使用する文化は、持続可能な循環型社会を体現しているのではないでしょうか。

 

技術の伝承にも貢献

寺社仏閣を建設するには、「宮大工」とわれる特殊な技術を持った職人が必要です。職人の世界は徒弟制度で成り立っている場合が多いのですが、親方が弟子に技術を伝承する方法として、もっとも合理的なのでしょう。

ところが、仮に式年遷宮が存在せず、宮大工さんの仕事がなくなってしまえばどうなるのでしょう?とたんにその技術を受け継ぐ人はいなくなり、社殿が朽ちてしまったとき新たなものを「創造」しようとしても、かつてと同じものを作ることは不可能です。

伊勢神宮が20年ごとに式年遷宮を行うのは、こういった技術継承の観点からも実に合理的な伝統行事です。20才で大工さんになり、遷宮に携わったとします。そして40才、60才と一人の大工さんが一生のうち、少なくとも2回、長生きをすれば4回もこの大仕事に参加できるでしょう。

そうすればおのずと技術も熟練し、弟子たちも棟梁の技術をそのまま受け継ぐことができるのです。

 

「解体」と「創造」が一体となり、古来の姿がそのまま目の前に!

伊勢神宮の本殿の建築様式は、「神明造」(しんめいづくり)と呼ぶそうです。

この姿は弥生時代の高床式倉庫に由来していると言われ、私たちは現代に暮らしながら、古代と同じ建物を目前に見ているのに等しいのではないでしょうか。

仮に「解体」と「創造」を同時に行う伊勢式年遷宮がなかったら、古代とは全く異なった建物に変化していったと思います。

 

冒頭で紹介したギリシャのパルテノン神殿は、建物こそ残っていますが、どんどん劣化が進んでしまいます。けれども、幸いなことに私たち日本人は、式年遷宮という伝統のおかげで、タイムマシーンに乗らずとも、古代の生き生きとした姿をありのままに眺めることが可能なのです