近代日本を支えた紡績業の「創造」は、国内産業保護政策の「解体」にあり
懐かしの名画「風と共に去りぬ」をご覧になったことがありますか?
戦前に制作されたアメリカの映画ですが、白黒ではなく「総天然色」の素晴らしい一大叙事詩です。このオープニングに綿畑で働く人々が登場します。南北戦争の直前ですからちょうど1850年代の姿ですね。
意外かもしれませんが、ここで生産される綿花は、明治期における日本の産業革命に大きく関わってくるのです。
かつて綿花は日本でも栽培され、それで綿糸を生産していました。これを紡績業と言います。この紡績業を国の基幹産業へ「創造」するため、日本国内の綿花栽培を「解体」しました。
日頃はちょっととっつきにくい経済史の話ですが、これが逆説的で実に興味深い話なのです。
米と絹のほかに主要産業のない国家
小見出しは、司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」の中で、明治初年の日本を現した言葉です。厳密にはお茶も主要な輸出品でしたが、絹とお茶だけで近代国家を成立させることは不可能です。
それに絹は高級品です。現代でも絹のハンカチや靴下を持っている人は珍しいですし、景気が悪くなれば消費者からそっぽを向かれてしまいます。
ではどうすれば近代国家を支えるだけの産業を育成できるのでしょうか?
そのためにはまず本格的な工業を興さねばなりません。
けれども、いきなり鉄鋼や造船などという重工業を主要産業にするのは不可能です。そこで目をつけたのが、綿花から綿糸を製造する「紡績業」でした。世界中で絹の下着を身につけている人は少ないですが、綿織物はほとんどの人が身につけています。
日本のエース的輸出品として、絹に比べ圧倒的に大きなマーケットである綿糸に照準を当てたのです。
旧来の技術を「解体」し、新型の紡績機械導入という「創造」
江戸時代に綿花から綿糸を製造するには、「手紡ぎ」という家内制手工業に頼っていました。明治期になって「ガラ紡」という水力を利用した紡績機械が発明されます。
それでも日本国内の綿織物の需要を満たす綿糸すら生産することができませんでした。綿は日常品であるにもかかわらず、国内で必要な綿糸は海外からの輸入に頼らざるを得なかったのです。
日本の紡績業が飛躍を遂げる一歩となったのが、渋沢栄一が設立した「大阪紡績会社」でした。この会社が使う紡績機械は蒸気機関を利用し、24時間操業という労働のシフト制まで導入します。
これで一気に旧来の小規模な紡績業は「解体」され、近代国家にふさわしい生産体制を「創造」したのです。やがて綿糸の国内生産量が輸入量を上回ります。
これは国産の綿糸が、国際競争力に勝ち抜くだけの生産量と品質を確保したことを意味します。
安い原料を調達するため、日本の綿農家を「解体」
加工貿易とは、資源のない国が資源のある国から原料を輸入し、それを製品にして輸出するという定義がなされています。
けれども、アメリカは原油生産国ですが、長い間コストの安い中東の石油を購入してきました(シェール革命で現在では様相が異なっています)。現代に例えてみましょう。
仮に日本で鉄鉱石が採掘されたとしても、コストが高ければ安い鉄鉱石を輸入するでしょう。そのようなコスト削減の努力により、世界に誇る日本車の国際競争力を維持していくはずです。
明治期には日本も綿花を生産する農家がたくさんありました。けれども生産効率が悪く、国内産の綿花は価格も高かったのです。また安価な外国産綿花の流入を阻止するため、「綿花輸入税」という税を課していました。一方で綿織物業者を保護するため、「綿糸輸出税」というものまでありました。
しかしこの保護政策が存在する限り、紡績業は日本の花形輸出産業にはなりません。紡績業界は国際競争力を増すため、これらの税金を撤廃することを要求します。
けれども綿花を栽培している農家にしては死活問題です。どちらの主張を通すかというのは実に難しい問題ですが、綿農家を保護すれば、一方で日本の紡績業の活力はどうしても損なわれてしまいます。
激しい議論の末、旧来の産業を保護する目的の税制はすべて撤廃されました。たしかに綿農家は衰退してしまいましたが、この決断がなければ、日本経済全体がじり貧になっていたでしょう。
そして、冒頭で紹介したアメリカやインドから大量の綿花を輸入することになりました。
痛みを伴った「解体」のあとで、日本における産業革命の「創造」を達成
かつて日本の紡績業は、国内の需要すら満たすことができませんでした。
けれども、安価な原料、大規模紡績会社の設立などによって、明治30年に綿糸の輸出量が輸入量を上回るようになります。ここに日本の軽工業は完全に近代化され、欧米と同等のレベルに追いついたことを示しています。
米と絹のほかに主要産業のなかった日本ですが、産業構造の「解体」と「創造」を繰り返し、明治維新からたった30年で近代的な工業国の基礎を築いていたのです。