ルターの95か条の論題が「解体」し「創造」したものとはなにか


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16世紀にカトリック教会が発行した贖宥状(免罪符)は、もともとはキリスト教上の罪の償いの方法の1つでした。しかしさまざまな思惑が絡んだ結果、単なる資金集めの道具のように使われてしまいます。
そんな贖宥状のあり方に疑問を突きつけたのが、マルティン・ルターの「95か条の論題」でした。

この論題はルターの当初の目的を遥かに超えて、大きな事態に発展します。
カトリック教会の宗教的な支配を「解体」し、プロテスタントという新たなキリスト教の一派を「創造」した宗教改革の始まりとなったのです。

 

贖宥状と95か条の論題

贖宥状(免罪符)とは、この札を購入することで犯した罪が許され天国に行くことができるとされた、ローマ教会が発行する一種のお札です。罪の償いの一環としてそれなりに意味がありましたが、1517年にドイツで発行された贖宥状は少々問題でした。

サン・ピエトロ大聖堂の改修費用を集めるという名目でしたが、その裏には教会内の地位を得ようとした司教と高利貸しを生業としていたフッガー家が関わっており、本来の意義からはみ出した集金アイテムになっていたのです。

特にドイツはローマ法王庁の資金源となっており、「ローマの牝牛」と揶揄されるほど搾取が行われていました。贖宥状の販売も「コインが箱にチャリンと音をたてさえすれば、魂は煉獄の炎から天国へ飛び上がる」という言葉が残されているように、末端ではかなり露骨な集金になっていたようです。

この状況を見て、同年にヴィッテンベルク城付属教会の扉に張り出された文書があります。それがルターが記した「95か条の論題」です。教会の扉に質問文を張りつけるというとものすごく挑発的な行動のように思われますが、実はこの当時において神学上の問題を議論するときに行う一般的な方法でした。

つまり大学の神学教授であったルターは、この時点ではあくまでも神学的な議論を交わすために論題を公開したに過ぎませんでした。実際、論題は一般人には読むことができないラテン語で書かれていたといいます。ところが、この行動はルターの思惑を飛び越えて、ヨーロッパ全土に大きな波紋を投げかけることになりました

 

95か条の論題が巻き起こした宗教改革

ルターの95か条の論題はドイツ語に翻訳されて、瞬く間にドイツ全体に広がっていきました。ただでさえ、経済的な負担を強いられていたドイツの民衆は、贖罪のあり方について「信仰によってのみ神の恵みを授かる」としたルターの主張を取り入れ、ローマ教会に対し反感を持つようになります

また、ドイツを統治していた神聖ローマ帝国皇帝カール5世とドイツ諸侯との間にも影響を及ぼしました。ローマ教会の権威を否定する形になったルターの思想を諸侯が支持することで、ドイツは分裂の危機に見舞われます。

カール5世はルターに考えを改めるように促しましたが、純粋な信仰心を頑なに守るルターは受け入れず、ドイツから追放されることになりました。実際はザクセン選帝侯フリードリヒがかくまい、ルターはその庇護のもとで新約聖書のドイツ語翻訳を行います。

この後、ルター派となった諸侯とカール5世を中心としたカトリック派との確執は、1546年に武力衝突にまで発展しました(シュマルカルデン戦争)が、1555年のアウグスブルク宗教和議によって、諸侯は自領の宗教を決める権利を得て和解します。

この結果、ルター派諸侯たちはカトリック教会の支配から離れ、ドイツ人口の約7割がルターの思想に代表される新しいキリスト教の宗派になりました。

これがプロテスタントの始まりです。プロテスタントとは「抗議する者」を意味する言葉であり、まさにルターや諸侯の行動によって生まれた宗派といえるでしょう

 

ルターの信仰心がローマ教会の影響力を「解体」し、プロテスタントを「創造」した

この後も、宗教改革の影響はドイツだけでなくヨーロッパ全土に広がり、カトリックとプロテスタントは激しく対立することになりました。国によって戦争やプロテスタントの虐殺など、多くの血も流されています。

しかし、各国で新たなキリスト教の主義主張が生まれると同時に、カトリック教会のなかでもプロテスタントに対抗するために内部改革が行われました。このカトリックの新たな動きはイエズス会の結成に繋がり、さらにラテンアメリカや東南アジア、日本などへの普及活動から世界的な宗教へと発展を遂げます。
一時期、腐敗と形骸化に犯されたカトリックも、宗教改革によって生き返ったのです

 

このようにルターの95か条の論題は、当時のローマ教会の影響力を「解体」し、プロテスタントという新しい宗派を「創造」しました。それどころかローマ教会の内部改革を促し、カトリックを世界宗教として発展させるきっかけを作ったのです。

宗教改革は、必要な「解体」と新しい「創造」によって、キリスト教を発展させたといえるでしょう。

 

【参考文献/サイト】

・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版.
・小田垣雅也(1995)『キリスト教の歴史』講談社.
・世界史の窓「宗教改革」http://www.y-history.net