古墳ブームの「解体」と大規模寺院の「創造」


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流行とは不思議な現象です。結婚式や葬式は、時代や地域においてそれぞれの方法がありますが、この儀式が消え去ることはありません。けれども流行は、それが終焉したあとにはあっけらかんとみんなが忘れてしまいます。

ちなみに私が小学生の頃、「スーパーカー・ブーム」というのがありました。フェラーリやランボルギーニ・カウンタックといった大型スポーツカーが大流行したのです。けれども高級車の購入者が増えわけではありません。子供たちがスーパーカーの写真を集め、消しゴムを使い、プラモデルを組み立てていたのです。

学校では男の子たちが目を輝かせてスーパーカーの話をしていましたが、中学生になった頃にはそのようなブームがあったことすら忘れていたのです。

 

古墳時代は日本史最初の大型建造物ブーム

3世紀の後半から7世紀にかけて、日本中で大規模なお墓があちこちで造られる時代が訪れます。

その中でも有名なのは、大阪堺市にある仁徳天皇陵(被葬者が明確に特定されないので「大仙陵古墳」とも呼ばれます)ではないでしょうか。この古墳は周囲を歩くだけでも約3キロという途方もない大きさです。高さこそエジプトのピラミッドには及びませんが、近くで見ると圧倒的な威圧感があります。

また現代では樹木が覆い繁ってほとんど森のようですが、建設当時はすべて葺石で覆われ、遠くから見るとキラキラと輝いてさぞ美しかったと思います。

ちなみに、日本には大小含めどれだけの古墳があるかご存知でしょうか。文化庁の調査では全国でなんと15万基以上の古墳があるそうです。この数字から考えても、古墳時代とは400年にわたって、日本人が何かに憑かれたように古墳を作り続けていたのです。

 

豪族の権威の象徴

トラックもブルドーザーもない時代、巨大な古墳を作るにはすべて人力に頼るしかありませんでした。大きな古墳になればなるほど、建築作業に動員された人数は多くなります。

日本各地の豪族たちは、自分の権勢を誇り、そして自分たちに超自然的な力が備わっているように演出するため、巨大な古墳を作ることに熱中したのだと思われます。山の向こうの豪族が大きな古墳を作ると、こちら側はもっと大きなものを作ってやろうというような気分だったのではないでしょうか。

民衆の中には嫌々ながら動員された人もいるでしょうが、大きな古墳を造ることが郷土の誇りと考える人も多かったと思います。かくして古墳ブームは止むときを知らず、日本中に古墳があふれるようになりました。

現在、平地に何気なくポツンと木々に覆われた丘があるとしたら、それはかつての古墳である場合も多いのです。

 

やがて仏教ブームが古墳ブームを「解体」する。

転機が訪れたのは、538年とも552年ともいわれる「仏教伝来」です。

日本人が仏教の何に感動したかといえば、最初はその教えではありませんでした。それは燦然と輝く黄金の仏像だったのです。文献にも「異国の神はキラキラし」という表現が残っているほどです。

日本人は美しく輝くエキゾチックな「仏教」に次第に魅了されはじめました。同じキラキラと光るといっても、周囲をただの土人形である埴輪で囲んでいる古墳と比較してみてください。古墳の葺石が日光の反射で輝いて見えるのと、本物の黄金が光るのとはレベルが異なります。

仏教文化の持つ色彩の力、それはすでに述べた黄金の仏像もそうですし、眩いばかりの朱色に染まったお寺の伽藍は、それを見ているだけで何やらありがたい存在に映ったのではないでしょうか。

 

豪族が熱中し始める巨大寺院の「創造」

それだけ貴重な仏像です。それを安置するにふさわしいお寺を建てようということになりました。豪族の中でも特に仏教へ傾倒したのが蘇我氏です。奈良の明日香村に飛鳥寺というお寺があります。

このお寺こそ日本最初に「創造」された本格的なお寺と言われ、(建築物は再建されたもの)587年に建立されたと言われています。仏教伝来から半世紀ほどで、日本における大規模建造物のトレンドがすっかり変わり、古墳ブームは徐々に「解体」へ向かっていくのです。

その後仏教の受容を反対する代表的な勢力であった物部氏が滅ぼされてから、大規模寺院の建設ブームが加速していきます。

天皇家も豪族たちも、自らの力を誇示するために巨大な寺院の「創造」が始まりました。豪族たちはそれぞれ自分たちの「氏寺」を建立します。秦氏の広隆寺、藤原氏の興福寺などは、現在でも有名な観光寺院として残っています。

 

やがて忘れ去られていく古墳と、ますます隆盛する大規模寺院

本格的なお寺とは、七堂伽藍といって、金堂、塔、門、経堂、鐘楼、経蔵、回廊など、重要建築物がすべてそろっているお寺です。

古墳を造るにも莫大な労働力が必要でしたが、大寺院には最新の建築技術が不可欠でした。その最大規模の寺院として結実したのが、奈良の大仏で有名な「東大寺」でしょう。

この頃になると、日本人は古墳を造ることをすっかり忘れてしまいました。ある程度大きな規模の古墳でさえ、被葬者が誰であるかわからなくなってしまったのです。

400年近くに及んだ古墳ブームはここに「解体」されました。そして建築的にも美術的にも、一層洗練された巨大寺院の「創造」が始まっていくのです。