現代中国文化の原点、漢王朝400年をつないだ「解体」と「創造」


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中国や台湾、シンガポールに住む人々の大半は漢民族と呼ばれています。その由来は中国の古代王朝「漢」にまでさかのぼります。

漢王朝は約400年続いた中国史上でも屈指の長命政権でした。
この時代に儒教が社会に浸透し現在に伝わる中国文化の礎が築かれました。芸術性の高い辞賦文体や「史記」「漢書」など今もなお名著として名高い歴史書が執筆されるなど、文学や芸術も発達します。

また紙の発明など後の世に影響を与える画期的な文化の発展もありました。
この現代中国文化の原点ともいえる漢王朝が400年もの長きにわたって続いたのは、一度崩壊し生まれ変わったからこそだったのはご存知でしょうか。漢王朝中興の歴史をご紹介します。

 

前漢王朝の最盛期と滅亡

漢王朝は二つの時期に分けられます。前漢(中国では西漢)と後漢(東漢)です。
前漢は秦のあとに成立し紀元前206年から8年の198年間続きました。

秦の始皇帝亡き後、天下を争った項羽と劉邦の戦いは前述した史記にいきいきと描かれ、日本でも人気ある歴史物語となっています。この劉邦が前漢王朝を興した人物です。
この後、第5代皇帝となる武帝(劉徹)のときに前漢は最盛期を迎えます。武帝はその名の通り武断型の英傑で、幾度となく遠征を行いその権勢はモンゴルやベトナムにまで及びました。
しかしこの大規模な遠征が主な原因で漢の財政は傾き始めます。その後皇帝が代を重ねるごとに宦官や外戚の専横が強まり国は徐々に衰退しました。
そして紀元8年に外戚の一人、王莽が皇位を譲り受ける形で「新」を興しました。ここで一度、漢は滅びたのです。

 

新の失敗と後漢を興した英雄の台頭

王莽という人物は儒教的な教養があり有能な学者だったといわれていますが、政治家としては前時代的な理想主義者でした。
せっかく新しい国を興したにもかかわらず、漢や秦よりさらに古い時代の周王朝の政治を復活させようとして見事に失敗します。新という国名が泣きますね。

王莽の時代錯誤な改革によって国内はさらに乱れ、赤眉の乱とよばれる農民反乱や各地方の豪族が一斉に反旗を翻しました。その結果、首都長安が陥落し王莽も命を落とします。時代の流れを無視した新は紀元23年にたった15年で幕を閉じました。

乱れきった国内を統一したのが、前漢第4代皇帝景帝の子孫にあたる劉秀。のちの光武帝です。
光武帝本人も文武両道の非常に優秀な人物でしたが、その配下にもさまざまな身分の有能な者たちが集いました。

初めは弱小勢力でありながら23年に独立の機会を得てからわずか13年で中国統一を果たします。実は長い中国史のなかで、一度滅んだ王朝を同じ血族が復興した例は後にも先にもこの光武帝ただ一人。それほどの偉業を成し遂げたのです。

 

改革と再生。後漢王朝の成立

後漢を興した光武帝は内政に力を注ぎました。奴隷制を廃止して農家を増やすと同時に屯田制を採択し生産性を高めました。また耕地面積と戸籍の調査など、国内の情報を改めて整理しています。

軍備を縮小し減税を行い、対外的には軍略と外交を巧みに使い分けできる限り遠征は行いませんでした。

また儒学と教育を浸透させた結果、人々の教化が進み後漢の識字率は非常に高くなっています。
前漢と新の例を省みて良いものは残し、直すべきところは大胆に改革することで漢は息を吹き返しました。後漢は紀元220年までおよそ195年間続きます。

約200年で滅ぶはずだった漢はその倍まで王朝を保つことができたのです。

 

必要な時の「解体」と適切な「創造」が漢王朝400年の歴史を生んだ

漢の中興の歴史から2つのことが見えてきます。
1つは長きにわたって続いたものは過去にどんなに栄えていても歪みが大きくなり、それを正すには一度解体する必要があるということ。

もう1つは必要に迫られ解体したとしても、適切な方法を取らなければ素晴らしい創造はなしえないということです。

前漢がもし一度滅びなければ、皇帝の血族とはいえ地方の豪族に過ぎなかった光武帝が帝位につくことはなかったでしょう。そうであれば前漢は多少生き長らえたとしても早々に幕を閉じたに違いありません。

また新しい国を興したはずの新は時代を逆行する政治を行ったことでかえって国を混乱させました。もし仮に光武帝という英雄があらわれなければ、群雄割拠の戦乱時代が長く続いた可能性すらあります。

後漢の安定した時代がなければ現在の中国文化はまた違った形になったかもしれません。

漢王朝400年の歴史と今に続く文化は、必要な時に行われた「解体」と適切な「創造」がうまく噛み合ったことによって生まれたのです。

【参考サイト・文献】
■布目潮ふう、山田信夫編(1995)『新訂 東アジア史入門』法律文化社.
■金岡新(2012)「第29回 前漢」 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-29.html (参照2016-03-01).
■金岡新(2012)「第30回 新から後漢」 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-30.html (参照2016-03-01).
■Kay(2016)「早わかり後漢建国史」 http://www.geocities.jp/kaysak864/k-kenkokushi.htm (参照2016-03-01).