絶対不利な戦局を解体し、百年戦争の勝利を創造したジャンヌ・ダルク


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14世紀から15世紀にかけて、フランス国内で長期的な戦争が行われていました。
後に「百年戦争」と呼ばれた戦いです。イングランドのエドワード3世がフランス王位の継承権を主張して始まったこの戦争は、1人の英雄が登場したことにより、終結へと向かいます。

それが有名なオルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクです。彼女は膠着した戦況を解体するかのように連戦連勝を続けて戦争を終わりに導いたばかりか、フランス国内の統一を促し、主権国家として歩んでいくきっかけを創造しました

ジャンヌ・ダルクの偉業は戦争の終結だけではなかったのです。

 

中世ヨーロッパの国家のあり方

実は中世においてフランスやイングランドを含めたヨーロッパ諸国は、主権国家として統一されていませんでした。各国には封建領主が数多く存在して各地を独自に治めていましたし、フランス領内にもイングランド王家の領地がありました。この場合、イングランド王家はフランス王家から領地を与えられた立場であったため、形式的には臣下の礼を取る形になります。

フランス王家としては国内を支配したいし、イングランド王家としてはフランス内の領地を増やして君臣の関係を逆転したいという、両者の思惑が長い間蓄積していたのです。さらにフランスの諸侯であるフランドル伯とブルゴーニュ公がイングランドと同盟し、イングランドではスコットランドがフランスに手を結ぶなど、どちらも国内外の足並みが揃っていませんでした。

このように、当時は国が1つにまとまっておらず、フランスもイングランドも国内統一と領土の拡大を目的に虎視眈々とお互いを伺っていた状態でした。

 

百年戦争の始まりとジャンヌ・ダルクの出現

フランスのカペー家が断絶したとき、英仏両国から次期王への名乗りが上がりました。
フランスの名家ヴァロワ家のフィリップと、カペー家出身の女性を母として生を受けたイングランド王エドワード3世です。

この王位継承権を巡っての争いが百年戦争のきっかけとなりました。1339年にエドワード3世がフランスに進行を開始します。始めはイングランド側が優勢に事を運びましたが、ペストの大流行に加え、両国での農民反乱、さらにフランスでは内部分裂も起こり、泥沼化していきました。

1428年、イングランド軍がフランスのオルレアンを総攻撃します。この時点で、すでにパリやランスを含めたフランスの北半分はイングランドとブルゴーニュ公の支配下にあり、オルレアンは南進を食い止める戦略上の要所でした。ここを落とされると一気にイングランドの進行を許してしまう重要な都市だったのです。

イングランドの戦意は凄まじく、フランス側は窮地に追いやられます。しかし、このときに英雄が現れ、オルレアンは劇的に逆転し解放されました。その英雄こそ、オルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクでした。

 

ジャンヌ・ダルクが行った中世ヨーロッパの解体と創造

天の使いに導かれたというジャンヌは類まれな軍事的才能を発揮し、オルレアンを開放したばかりか、続く戦争に連戦連勝していき、ロワール川一帯からイングランド軍を追い払います。そしてシャルル7世はジャンヌの初陣からたった2ヶ月後に、解放されたランスにて正式に戴冠式を行い、フランス王として立つのです。

ジャンヌは1430年にブルゴーニュ公軍に捕まるまで、たった半年ほどの軍事行動でイングランド支配下にあった都市を開放していきました。それはまさにイングランド戦線の「解体」であり、奇跡のような活躍だったことでしょう。

しかし、ジャンヌが行った「解体」は、イングランド軍だけではありませんでした。神の使いであるジャンヌがシャルル7世の戴冠式を実現させたことにより、国王の権威は大いに高められ、フランスは国内統一へ動きだしました

相対的にそれまで大きな力を持っていた封建領主は、少しずつ没落の道を辿ったのです。このフランスの動きを皮切りに、ヨーロッパ各国は封建領主の弱体化に伴って王権が強化され、絶対王政に移行していきます。

ジャンヌは王権神授説を体現し、王の権威付けを行ったといえるでしょう。

 

イングランド軍と国内の封建領主という内外の敵を「解体」し、シャルル7世を王位につけることで絶対王政への道を「創造」しました。この結果、封建領主の集まりだったゆるやかな国のあり方が、王を中心とした主権国家に変わります。

それは新たなヨーロッパの始まりに繋がっていきました。もしジャンヌが現れず、イングランド軍とブルゴーニュ公が戦争に勝利していたら、フランスは分割統治され、王家と封建領主による領土争いが更に長く続いたかもしれません。

百年戦争が終わるのは、ジャンヌが宗教裁判で異端判決を受け処刑されてから22年後の1453年です。その後、1456年に再審が行われ、ジャンヌの名誉は回復されました。
そして今もなお、フランスという「国」を守った聖人として語り継がれています。

 

【参考文献/サイト】

・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版.
・世界史の窓「百年戦争」http://www.y-history.net/
・ウィキペディアの執筆者,2016,「ジャンヌ・ダルク」『ウィキペディア日本語版』https://ja.wikipedia.org