仏独伊の原点。フランク王国の「解体」と3強国の「創造」


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フランス、ドイツ、そしてイタリア。ヨーロッパの中でも特に有名なこの3国は、かつてひとつの国家「フランク王国」でした。

フランク王国は西ヨーロッパを広く支配した国で、その国土は今でいうEUに匹敵します。西ローマ帝国を継いだとも言える強大なフランク王国は400年続いた後、あるきっかけが原因で「解体」し、フランス、ドイツ、イタリアという3つの国となりました

そして後のヨーロッパ史に多大な影響を与えたのです。フランク王国の設立と分裂の歴史を簡単に追ってみましょう。

 

フランク王国の成立

フランク王国が成立するきっかけは、ゲルマン民族の大移動です。375年に始まったゲルマン人の南下には2つの大きな流れがありました。東に大きく広がっていった部族と、西ヨーロッパの狭い範囲に留まった部族です。

この西ヨーロッパに留まった部族こそが後のフランク王国を築き上げるフランク族でした。東に広がっていった他の部族は、あまりにも大きく移動したために生活環境の変化が激しく、弱体化することでビザンツ帝国などに滅ぼされていきます。ライン川下流あたりで腰を据えたフランク族は環境の変化も少なく安定した勢力を保ち、周りのローマ系住人や他のゲルマン人部族を吸収しつつ拡大していきました。

481年、このフランク族のなかに一人の英雄が登場します。クロヴィス1世です。クロヴィス1世はライン川西部の一地域を治めていた一支族の王に過ぎませんでしたが、周辺のフランク族を統一し、現在のフランスにあたる地域(ガリア)を支配下に収めます。

その後、カトリックに改宗したことで教皇やローマ系住人とのつながりを強めたクロヴィス1世は周辺の他勢力を退け、王国の基礎を盤石のものとしました。クロヴィス1世の死後、フランク王国はクーデターがあり王朝が代わるという大きな事件があったものの国としては拡大を続けます。

そしてクロヴィス1世を超えるほどの英雄であるカール大帝の治世で最大の国土を有するようになりました。さらに西暦800年、カール大帝はローマ教皇から西ローマ皇帝の称号を与えられ、名実ともにフランツ王国は西ヨーロッパ最大の国家となるのです。
しかしこのカール大帝の死後、フランツ王国は3国に分裂してしまいます。

 

フランク王国の分裂はなぜ起こったのか?

フランク王国の王位継承には独特の決まりがありました。王位継承権を持つ男性に国土を分割して統治させる分割相続です。分割相続はフランク族の伝統で、王国の基礎を作り上げたクロヴィス1世が制定したフランク族の慣習法であるサリカによっても決められていました。

つまりフランク王国は建国当時から、相続のたびに分裂の危機に晒されていたのです。カール大帝の3男であるルートヴィヒ1世は兄弟が若くして亡くなったためにほぼ一人で継承した形になり、混乱は抑えられました。

しかしルートヴィヒの子どもは3人いたため、王国を3分割して相続することになりました。長男であるロタールが皇帝の称号とともに現在のイタリアを含めた王国中央部を治め、弟のシャルルが西部、同じく弟のルートヴィヒが東部をそれぞれ領地として相続したのです。ところがロタールが早くに亡くなり、シャルルとルートヴィヒが王国中部の領土をめぐって争います。

結果、ロタール領の北部を二分してそれぞれの領土に加えることで落ち着くことになりました。これが870年のメルセン条約です。フランク王国はカール大帝のもとで最大の国土を得た後、あっという間に3国に解体されてしまったのです。

 

分割相続という「解体」の結果、「創造」された3つの強国

あまりにも広大になったフランク王国は、伝統である分轄相続の結果、その後は二度と統一されることはなくそれぞれ独自の道を歩むことになります。

シャルルが治める西フランク王国が後のフランスに。ルートヴィヒの領土となった東フランク王国がドイツに。そしてロタールの子孫がかろうじて保った中部フランク王国がイタリアにつながっていくのです。

この3国がヨーロッパ史において常に舞台の中心であったことは否定しようがない事実でしょう。故にフランク王国はその後のヨーロッパの方向性を決定したといえます。

いわば現在の西ヨーロッパの母体となった国なのです。
このように一度まとまった大きな国家が「解体」して3つの強国として「創造」されたとき、西ヨーロッパの歴史は次の時代に突入していきました。そして現在にいたるまで影響を与えてます。歴史には「解体」と「創造」がつきものですが、フランク王国はとてもわかりやすい例の一つといえます。
「解体」は常に新しい何かを「創造」し、次の時代を築きあげるのです。

 

【参考サイト・文献】
■鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版.
■ジェフリー・リーガン(2008)『ヴィジュアル版「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』森本哲郎 監修,原書房.
■ウィキペディアの執筆者. “フランク王国”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-15.

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