大航海時代「創造」の源流は、モンゴル帝国の「解体」にあり


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コロンブスによってアメリカが「発見」され、マゼラン率いる船団が世界周航を実現した大航海時代。15世紀半ばから17世紀半ばまでの約200年の間に国際交流が盛んとなったことで、ヨーロッパの繁栄とその後の近代化をもたらしました。

ところで、このヨーロッパを中心とする新時代の「創造」には、当時ユーラシア大陸で絶対的な支配力を誇っていたある帝国の「解体」が大きく影響していることを知っていますか?

 

モンゴル帝国の繁栄

大航海時代からさかのぼること約3世紀半。1206年に初代チンギス・ハンがモンゴルの諸部族を統一して、その統治者たる「大ハーン」となり、モンゴル帝国が建国されました。チンギス・ハン率いるモンゴル帝国は積極的に領土拡大に乗り出したのですが、その侵略者としての残虐性は周辺諸国から非常に恐れられていました。

しかし、それはモンゴル帝国の一面に過ぎません。モンゴル帝国がユーラシア大陸における覇権を確立した13世紀から14世紀にかけては「パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)」と呼ばれる平和と繁栄の時代となりました。

現在の東アジアの大陸部から西は現在のウクライナやトルコまでおよんだ帝国領土において人やモノの往来を自由化し、商業が発達したのです。その影響は帝国外の日本や東南アジア、インド、中東、北アフリカ、西ヨーロッパにまでおよび広大な交易ネットワークが構築されたのです。

 

モンゴル帝国の「解体」、そしてオスマン帝国の地中海制圧

しかし、モンゴル帝国の繁栄にもやがて終わりが訪れます。モンゴル帝国は連合国家のかたちで広がっていきましたが、14世紀に入ると諸王朝の安定が急速に失われていき、帝国の分裂へとつながりました。
1368年には現在の中国に「明」が建国され、モンゴル帝国はその領土の多くとともに経済の中心地を失いました。

さて、モンゴル帝国の衰退を横目に、中東を中心に急速に勢力を伸ばしたのがオスマン帝国です。
1453年、オスマン帝国はコンスタンティノープルを陥落させ、古代ローマの系譜を継ぐ東ローマ帝国を滅亡に追い込みました。これによりオスマン帝国は、東ローマ帝国の都市国家であるジェノヴァ、ヴェネツィアなどが独占していた地中海交易の権益を奪いました。オスマン帝国は、地中海での交易に高い関税をかけたため、ヨーロッパの経済秩序が乱れます。

このような状況下、旧東ローマ帝国の海洋国家の航海士たちの多くはイベリア半島に移りました。当時イベリア半島では、イスラムを介して伝わった羅針盤と最先端の造船技術により外洋航海が可能となっていたのです。そこに地中海交易の権益を失ったことによる新たな交易路の追求が相まって、新時代を「創造」する機運が高まってきます。

 

大航海時代は近代の幕開けへとつながった

さまざまな思惑が渦巻くなか、スペインとポルトガルによりヨーロッパに航海ブームが訪れます。

大航海時代の初期の功績は両国によって独占されていました。また、アメリカを「発見」したコロンブスをはじめ、ジェノヴァ出身の航海士も多く活躍したことを忘れてはなりません。両国の成功を知るや否や、イギリスやフランス、オランダといった国々も海外進出をおこなうようになり、大航海時代は最盛期を迎えます。
こうした冒険の時代は、17世紀半ばに地球上のほぼすべての地域にヨーロッパ人が到達するまで続きました。

たしかに、大航海時代には「発見」した地域における先住民の虐殺や20世紀まで続く植民地支配といった負の側面があることは事実です。

しかし、数々の発見と交流によって世界に新たにもたらされたものもあります。新大陸や東インド航路の発見により、ヨーロッパにおける交易の中心が地中海から大西洋岸へと移りました。このことは結果的にイギリスの経済的発展をもたらし、のちの産業革命、すなわち近代の幕開けにつながります。

 

近代において世界の覇権を握り栄華を誇ったヨーロッパ。その陰にアジアの巨大帝国の衰退があったことは意外と知られていないのかもしれません。

モンゴル帝国を「解体」したことで、現代まで続く価値を生み出した大航海時代という新時代が「創造」されたのです。