映画「ラストサムライ」はアメリカ人の理想のサムライ像を創造した!


先にお伝えしておきたいことがあります。

この映画「ラストサムライ」はエンターテインメント作品です。
ノンフィクションやドキュメンタリーではありません。
歴史映画でも伝記映画でもありません。

ですから「史実と違う!」とか「時代考証がなってない!」とかいう考えは、鑑賞する前から心の隅に置いて封印しておきましょう。

純粋に楽しんで見たときに、私たちは海外でサムライという存在がどういう風に映っているのか。またはどんな人物であることが望まれているのかが分かります。

「ラストサムライ」はそんな映画なのです。

 

ときは明治維新直後。アメリカからきた軍事顧問が見た武士の姿

「ラストサムライ」は2003年にアメリカで上映された、明治維新直後のサムライを題材に制作された映画です。

主演は「トップガン」や「ミッション:インポッシブル」で有名なトム・クルーズ。
さらに渡辺謙や真田広之といった日本人俳優が数多く出演したことで、日本でも注目されました。

上映時の興行収入はアメリカで約1億ドル、日本では約137億円を越えたとされていますから、一定の成功を収めた映画といえるでしょう。

 
ストーリーは、トム・クルーズが演じるアメリカ軍人のネイサン・オールグレン大尉が、陸軍の指導のために日本に訪れることで動き始めます。

オールグレンはアメリカ南北戦争の英雄でしたが、戦意のない無力な現地人を攻撃したことに心を痛め、自堕落した生活を送っていました。そんな彼は深く考えずに、大金につられて日本陸軍の教師役を引き受けます。

明治維新直後の日本は早急に近代化する必要に迫られ、富国強兵政策に取り組んでいる最中です。かつて特権階級だったサムライもすでにほとんど見られなくなっていました。

そんななかで鉄道が何者かに襲われた報が入り、オールグレンは調練が終わっていない新兵を率いて討伐に赴きます。

出会ったのは、不平士族を指揮する勝元(渡辺謙)でした。軍の練度が圧倒的に違ったために敗北したオールグレンでしたが、なぜか勝元に生命を救われ、捕虜として連れ去られます。

そこは日本で最後のサムライたちが住む村でした。

勝元に認められたオールグレンは客人としてサムライたちと交流し、徐々にそのあり方に心をひかれていきます。また、サムライたちからも仲間として受け入れられつつありました。

しかし、事態は悪い方向へ転がっていきます。

古き風習とサムライの魂を保とうとする勝元とその一党は、明治へ移り変わる時代の流れに乗ろうとする者たちにとっては、目の上のたんこぶだったのです。

明治政府から下された廃刀令に逆らい軟禁された勝元は、さらに生命を狙われたところをオールグレンと仲間たちに助けられます。

新時代には自分たちが生きる道はない。そう悟った勝元は覚悟を決め、いまや同志となったオールグレンとともに、サムライとして最後の戦へ臨むのです。

最後の戦場シーンは迫力満点です。クライマックスはぜひご自分の目でお確かめください。

 

アメリカ人の目から見た日本と武士道の美

この映画は2つのテーマを描こうとしていると感じます。

1つはオールグレンの人生の再生です。

南北戦争に参戦したオールグレンは、戦争の無慈悲な場面を嫌というほど突きつけられて、良心の呵責に耐えられず、酒に逃げ人生を捨てていました。

そんなオールグレンは勝元を始めとするサムライたちと生活し始めたことで、その文化と精神に触れ、少しずつ自分を取り戻していきます。

そして最後の戦で、彼はサムライの生き様を目に焼き付けるのです。

勝元と共に過ごした日々は、オールグレンにとって今までの人生観の解体であり、新しい生き方の創造だったのでしょう。

そしてもう1つは、アメリカ人が思い描く理想の武士道です。

この映画で描かれたサムライの姿には賛否両論ありました。

感動的という人もいれば、美化しすぎているという意見もありましたし、そもそも侍や武士道を勘違いしている、という指摘もあります。

実際、時代考証も正しいとはいえません。たとえば、物語半ばでオールグレンや勝元を襲う忍者は、コミックに出てくるようなデザインとイメージの「ニンジャ」です。

ですが、前述したようにそもそも「ラストサムライ」は歴史映画ではありません。モデルとなった人物や歴史的な出来事は存在しますが、あくまでもそれを元に作り上げたフィクションです。

実際に映画を見て感じたのは、登場するサムライたちの美しいまでの潔さと覚悟でした。

勝元も配下も、信念に従い己を曲げません。たとえ負け戦と分かっていても、死しか結末が残されていないと確信していても、ゆるぎません。

ただ静かに戦場を見据え、馬を駆り刀を振るうのです。

それは日本人の私達の方があっけにとられるほど見事な「美しい武士道の有様」でした。

 

「ラストサムライ」はアメリカ人が抱く理想のサムライ像

重ねて言いますが「ラストサムライ」はエンターテインメント作品です。この映画で描かれるサムライは、厳密にいえば「侍・武士」とは違います。

現実の侍はもっと生々しいものですし、実際の武士のなかにはさまざまな汚点や醜聞もありました。武士道もきれいごとだけではありません。

しかし、だからといって「ラストサムライ」で描かれたサムライが、偽物だとは思えないのです。

たとえば我々日本人が西洋の騎士に憧れと敬意を抱くように、映画を制作したスタッフが思い描いた理想のサムライの姿。それが「ラストサムライ」という映画のなかに集約され表現されているとは考えられないでしょうか。

そう思ってこの映画を観ると、非常に面映いというか気恥ずかしい気持ちにかられます。

それは、我々日本人が想像できないほどの美をサムライに感じている、アメリカ人の気持ちを見せつけられるからです。

 
「ラストサムライ」はむしろ私達日本人のなかの「侍」像を解体し、アメリカ人が創造した圧倒的に美しい「サムライ」の姿に感動させられてしまう映画といえるでしょう。

日本人だからこそ一度は見て欲しい、そんなサムライムービーなのです。