『走れメロス』は走っていなかった!思い込みを解体することで創造される新事実
メロスは歩いていた・・・?
参考記事 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1402/06/news071.html
上記ニュースにて、中学生の子が走れメロスの平均移動速度を計算した結果、どうやらメロスは歩いていた可能性が高いようです。そこで今回は思い込んでいることを解体することによって、新しい事実の発覚が創造されることを考察していきます。
走りの記述について
普通にストーリーを読み進めて行くと、文中にてメロスの走りの様子がいくつか記述されています。
・メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで
・メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。
・えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。
・濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。
・ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり
・少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った
・路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。
・最後の死力を尽して、メロスは走った。
・ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。
・メロスは疾風の如く刑場に突入した。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.htmlより抜粋
恐らく、これらの記述で勘違いしてしまっている方が多いのではないでしょうか。しかし、気になるのは中には頑張っている描写の中に具体的な数字に繋がるものが挙げられている点です。
実際にこのことはネット上においても話題に上がっていて、特に沈んでいる太陽の十倍も速く走ったという記述は、太陽の移動速度=地球の自転という点で考察すると、メロスはマッハ11相当で走っていたことになってしまいます。
走るということで、最速の人類ことウサイン・ボルト氏は100mを9.69秒で走りますが、上記の計算では、メロスは100mを0.02秒で走りぬくことができてしまいます。
こんな速さで走ることができたのであれば、例え道中に山賊に襲われ、激流に飲み込まれ、サボって2,3里歩いていたとしても余裕で時間に間に合ってしまうことでしょう。
また、太陽の~のくだりは大げさであったとしても、まだまだ疑問は残ります。注目してほしいのは10里(39km)という距離です。50km競歩の世界記録は2008年度にロシアのデニス・ニジェゴロドフが出した3時間34分14秒ですが、これを時速に直すと14.2kmで、この速さでメロスと同じ距離を走ると2時間46分で到着することができてしまいます。
メロスはもっと時間がかかっていますから、この点において走るスピードを計算するとおよそ時速5km以下で歩いているという計算になりました。
これは、よく不動産の表記などで見かける駅から歩いて5分!のスピードと同等かそれ以下の速さです。つまり、メロスはどう考えても走ってはいなく、むしろ歩いていた可能性の方が高いと言えるのです。
正しいという先入観
上記ではメロスの矛盾点について考察しましたが、この作品は長きに渡って多くの日本人に愛され、人間賛歌の象徴として語り継がれてきました。
しかし、あの矛盾点は少し冷静になって考えてみればすぐにでも気付けそうなものです。それでも誰もその点にメスを入れなかったのは、そんなところが間違っているはずがないという固定観念ができあがっていたからなのではないでしょうか。
また、太宰の作家としての実力も理由としてあげられるかもしれません。太宰は初代芥川賞候補にまで入った逆行、名作として名高い富嶽百景など、当時から作家として一定の地位を築き上げていました。
そのような作家が設定の初歩中の初歩を間違っているとは誰も思わなかったのかもしれません。これらすべてはきっとその通りだと言う、対象への無償の信頼、先入観がもたらしているものです。
今回の走れメロスの場合は特にそれで何か問題が起こると言うわけではないですが、これがもし自分の人生設計や事業計画に置いて発生していた場合には、あなたの可能性を狭めてしまうかもしれませんね。
こんなことできるはずない、これは絶対に無理だ、という固定観念を持ってしまってはいませんか?その固定観念を解体することで、新しい可能性を作りだしてみてはどうでしょうか。
今回は太宰治の走れメロスを通して固定観念の危険さを考察してきましたが、いかがでしたか。
信じると言うことは大切なことですが、場合によっては無意味な固定観念となってしまうことがあります。時にはそこを疑うことで新しい道が切り開けるかもしれませんね。
行き場を見失ってしまったときは、まずは手元にある材料に着手してみてはいかがでしょうか。
もしそれが無くなっても何も不便が無い場合には、解体すべきことだったといえるかもしれません。解体することで、新しい可能性を創造しましょう。
参考文献