「イヴの時間 劇場版」 愛しいものを愛せる世界へ


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舞台はおそらく日本。とはいえ、アンドロイドが身近に普及している世界は、少し縁遠い世界に感じられるかもしれません。しかし、劇中で描かれる組織や問題をひとつひとつ紐解いていくと、実は私たちが暮らす現実世界とよく似ていることが分かります。

SF的解釈も面白い作品ではありますが、今回は多様性や偏見といった観点から作品を見ていきましょう。

「倫理委員会」とはなんの象徴か

本作に登場する組織のひとつに「倫理委員会」という組織があります。ロボットの取り締まりをする圧力団体で、テレビCMなどで世間にロボットの危険性を訴えています。劇中では警察内部にも食い込んでいることが示唆されており、その影響力は絶大です。

では、倫理委員会とは一体なんの象徴なのでしょうか。

科学や医学の進歩を論じるとき、私たちは必ず倫理的に正しいのかどうかを考えなければなりません。クローン人間や人口中絶、あるいは人工授精。iPS細胞が画期的とされたのも、iPS細胞が開発されるまで万能細胞は受精卵から作らねばならなかったからです。倫理的問題を解決できるためにiPS細胞は画期的な発見と言われたといっても過言ではありません。

では、この倫理とはだれが決めているのでしょうか? これは、日本の文化で育った人間にはいくらか想像しにくい分野であります。宗教が盛んな文化圏であれば、倫理の基準は宗教がある程度決定してくれるからです。

宗教色の薄い日本では、なかなかはっきりとした基準を見つけることができません。しかし、あえて名付けるならそれは世論ではないでしょうか。

気を付けなければいけないのは、この世論というものは決して皆の総意ではなく、ましてや絶対の正解などではないという点です。

作中に登場する「ドリ系」と呼ばれる若者たちへの評価がそれを象徴しています。

ドリ系とはアンドロイド依存症を基にした言葉で、ワイドショーでは「きもちわるい」という意見が取り上げられる描写があります。ドリ系であることは恥とみなされているのです。

このような描写から、本作の世界における倫理とは「ロボットと人間は明確に区別され、ロボットは人間に支配されるべき」という世論だと考えることができます。つまり、倫理委員会とは、この世論を作りなおかつ実行する団体なのです。

対象がアンドロイドであるため、現実世界でどのような位置づけになるかは少し想像しにくいかもしれません。しかし、アンドロイドを「自分には理解しにくいもの」と置き換えてみると、現実世界でもよくあることであることに気づきます。

例えば、爬虫類。ブランドバッグ。カメラ。電車。山。ロリータファッション。お酒。漫画。誰にでも「なぜそれを愛する人がいるのかわからない」というものはあるはずです。

そしてしばしば、その感情を認められずに理解できないことを正当化しようとする人々が出てくるのです。「爬虫類は不衛生」「ブランドバッグは不経済」「いい年してロリータファッションなんて恥ずかしい」「お酒は人を狂わせるだけ」などなど…。

倫理委員会とは、こうした人々の象徴だと言えるでしょう。しかし、倫理委員会が間違っているというわけではありません。人が何かに嫌悪感を抱くのは仕方のないことです。そして人間である限り、私たちは自分が住みやすいように世界を創造しようとします。

アンドロイドと人間が明確に区別される理想の世界を創造しようとする倫理委員会もまた、別の形の正義であるにすぎないのです。

ロボット3原則を解体する

劇中で描かれるロボットは、すべてロボット三原則に縛られています。ロボット三原則とは、SF作家アイザック・アシモフが提唱したロボットの行動指針です。

人間を傷つけない、人間に従う、人間を守る、ということを定めており、創作の世界で発生したものであるものの現在では工学の世界でもロボットをプログラムする際の指針となることも多い原則です。

しかし、これを批判的にみる動きもあります。この原則自体、ロボットは人間に危害を加えるものだという前提に成り立っている、という見方です。

作中には様々な愛のかたちが登場します。親子、家族、恋人、それぞれが自由で型に当てはめることはできません。しかし、それはイヴの時間の中での話です。外に出た瞬間、彼らは人間とロボットに隔てられてしまいます。

ロボット3原則は人間を守るために創造されたものですが、それが障壁になってしまうのです。

たしかにロボットは人間よりも力が強く、計算も早く正確にすることができます。自律的判断をできる人工知能を搭載すれば、ターミネーターのスカイネットやブレードランナーのレプリカントのように人間の手に負えない暴走をするかもしれません。

しかし、その垣根を解体すればこそ、わかり合うことができるのではないでしょうか。そもそも人間同士だって相手のことはわからないのです。家族であっても無言のうちにわかり合うことはできません。

似たような話は現実にも多く存在します。何かを守りたくて逆に傷つけてしまうことはよくある話なのです。

人間とアンドロイドの違いとは

人間とアンドロイドを区別しない、というルールに戸惑う主人公たちは、喫茶店の常連だという女性に、なぜここに来るのか問いかけます。すると女性は、姿かたちは似ているけれど私たちは全然違う。違うからわかってあげたい。愛する家族だからわかってあげたいのだと答えます。

実はこの女性はアンドロイドでした。この事実が主人公の思い込みを解体することになります。もしもこの女性が人間だったなら、アンドロイドに感情があると思っている変わり者の女性で片づけられてしまったでしょう。

しかしアンドロイドにこのセリフを言わせることで、主人公だけではなく私たちにも「もしかしたらロボットにも感情があるのではないか」と思わせているのです。

イヴの時間の中で、人間とアンドロイドは平等に扱われます。それは古い型で機械まるだしのアンドロイドでも変わりません。何者であっても扱いが変わらないイヴの時間は、差別や偏見のない理想の世界と言えるでしょう。それは「相手が何者なのかわからない」ことを徹底するという状況によって生み出されています。

私たちが住む現実世界は大きなイヴの時間だと考えることができます。あなたの隣にいる誰かが何者かなんて定かではないのです。人間かもしれないし、ロボットなのかもしれません。そしてそれはほんの少しも大切なことではないのです。

大切なのは、彼や彼女あるいはその物があなたにとってどんな存在であるかなのです。

思い込みを解体したその先に、私たちがあるがままで愛おしいなにかを愛せる世界が想像できるではないでしょうか。

 

悲しいことに、現在私たちの周りには差別や偏見があふれています。しかし、愛する人の性別や、愛するもの、趣味などは多種多様です。イヴの時間の中で人間とアンドロイドが互いに区別できないように、私たちも隣にいる人の中身を知ることはできません。

分からなくて良いのです。似ているけれど私たちひとりひとりは全く違います。だからわかってあげたい、理解したいと思うことが大切なのです。
相手を知りたいと思う心が、差別や偏見を解消するのに必要なのだと言えるでしょう。