ペレストロイカが導いたソ連の「解体」と新しい国家の「創造」


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現在のロシアがまだソビエト連邦と呼ばれていた頃、それまででは考えられない改革が行われ、世界の注目を集めました。それがペレストロイカです。

当初は社会主義体制を維持したまま、経済的な改革を意図していたペレストロイカですが、急激な時代の流れと民衆の要望に導かれ、ソビエト連邦の「解体」と新しいロシアの「創造」に繋がりました。

東西冷戦を終わらせるきっかけとなった、ペレストロイカについてご紹介します。

 

ソビエト連邦を襲った社会主義経済の限界とペレストロイカ

20世紀後半、ソビエト連邦は共産党の一党独裁による組織の硬直化と経済状況の悪化によって、国家として危機に陥っていました。

東西冷戦中のときですから、国家としての衰退は相手国アメリカ合衆国に後れをとることになります。それは東側全体の敗北に繋がりかねません。

そこで、1985年に書記長としてトップにたったミハイル・ゴルバチョフは、抜本的な経済改革にのり出します。それがペレストロイカです。

生産と流通、販売、分配といった経済活動を国家が計画し制御する社会主義経済は、確かに国の下での労働者の平等を実現しました。しかし計画にそって生産することが全てで、努力が評価されない社会は、労働者から向上心や意欲をも奪い取ってしまったのです。それは国の生産性を落とし、結局は経済的な困窮をもたらしました。

ゴルバチョフは市場原理を導入することで、社会主義経済に活力を取り戻そうとしたのです。これがペレストロイカの当初の目的でした。

しかし、ある大事故が引き金となって、ペレストロイカは経済改革だけに収まらなくなります。

 

チェルノブイリ原発事故の影響とペレストロイカの変化

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故は、ソ連の管理体制が正常に機能していない現状をさらけ出した人災ともいえる大事故でした。この事故によって、ゴルバチョフは経済だけでなく、政治自体にメスを入れざるを得なくなったのです。

こうして本来は社会主義を前提としていたはずのペレストロイカは、情報公開と選挙制度の見直しにとりかかり、民主共和制度を導入していく改革に変わっていきます。

1989年には新しい制度による代議員選挙が行われ、翌年には大統領制度が取り入れられて、ゴルバチョフがソ連の初代大統領に就任しました。

また、ゴルバチョフは外交戦略も大幅に転換し、東欧諸国への統制を取りやめます。この政策変更によって、東欧諸国や連邦に名を連ねていた国家は、社会主義の放棄や独立への動きを強めていきました。

ペレストロイカはソ連と東欧の社会主義国家を、徐々に解体していったのです。

 

ペレストロイカがソ連の解体をうながし、新しいロシアの創造を導いた

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ペレストロイカは政治改革としては一定の成功を収めましたが、当初の目的であった経済の立て直しでは失敗に終わりました。市場原理の導入が中途半端だったため、かえって経済が混乱し、物価が上がって民衆の不満が高まったのです。

さらに政治改革に危機感を覚えた共産党が、1991年にクーデターを起こし、ゴルバチョフを捕らえ監禁します。しかしこのクーデターは、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領が、モスクワ民衆の先頭に立って反対運動を行ったことによって早々に挫折しました。

この保守派のクーデターが、ソ連解体を決定づけたのは皮肉といえるでしょう。

エリツィンは復帰したゴルバチョフにソ連共産党の解散を求め、同時にロシア共和国、ウクライナ、ベラルーシで新たな国家共同体(CIS)を立ち上げます。

ソ連自体は残したいと考えていたゴルバチョフでしたが、保守派の無謀なクーデターによって共産党は国内外の信頼を完全に失っており、どうすることもできませんでした。

こうして、事実上国家として機能しなくなったソ連は「解体」されたのです

 

このように、もともとはソ連の再生を目的に始まったペレストロイカは、チェルノブイリ原発事故の影響で政治体制そのものの改革に変わり、最終的にはソ連と東欧共産国の「解体」に繋がりました。

同時に共産主義国家に民主共和制の息吹を吹き込むことで、あらたにロシア連邦(ロシア共和国)を中心としたCISという国家共同体を「創造」する土台となったといえるでしょう。

当時、賛否両論だったペレストロイカは、現在では東西冷戦を終わらせ新たな世界秩序を作り出すきっかけになった政策として、評価されています。

限界を迎えたソ連は、ペレストロイカによる「解体」を経て、今につながる新しい国家として「創造」されたのです。

 

【参考文献/サイト】
・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版.
・世界史の窓「ペレストロイカ」http://www.y-history.net/