コレラが世界に及ぼした恐るべき「解体」と公衆衛生の「創造」


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海運や航空機の発達により世界は狭くなり、簡単に互いに行き来できるようになりましたが、それはときに大きな災厄をもたらすことがあります。伝染病もその例の1つといえるでしょう。

そんな伝染病の1つであるコレラは、19世紀になって突然、全世界に蔓延し始めました。

感染力が強く、一度発生すれば万単位の命を奪うコレラは、治療方法がまだ見つかっていなかった当時、まさに都市を「解体」してしまう恐怖の象徴でした。

しかし、各国が必死に行ったコレラ予防への取り組みは、ヨーロッパ諸国に上下水道の発達をもたらしたのです。

結果として工業都市周辺の生活環境は、劇的に改善され、衛生的に安全な都市を「創造」することになりました。

 

コレラの世界的な流行は近代になって突然始まった

コレラは主に口からコレラ菌が体内に入ることで発病します。主な症状は下痢と嘔吐で、1日におよそ数リットルから数十リットルもの便をして、極度の脱水症状をおこします。

今でこそ正しい治療を行えば死亡することはほとんどありませんが、当時は治療方法がない死の病でした。特に子どもや年寄りなど体力がない者にとっては、コレラにかかるということは死刑宣告を受けたのと同じです。

このように恐ろしい伝染病であるコレラは、実は近代まで国際的にはほとんど知られていませんでした。

コレラ自体は紀元前から存在したという記録が残っているそうですが、世界に広がるほどの病気ではなく、インドのベンガル地方で流行する病に過ぎなかったのです。

そんなコレラが、19世紀になるといきなり世界中に知られることになります。なんと1800年代だけで、6回もの世界的流行を引き起こしました。

何故コレラは突然世界中に広まったのでしょうか。

それは大航海時代を経て世界各国の交流が活発になったことと、産業革命による工業化で、都市周辺の生活環境が劣悪化したせいでした。

 

工業都市周辺に住まう労働者の生活環境はひどかった!

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18世紀にイギリスで始まった産業革命はヨーロッパ諸国へ伝わり、さらにアジアから遠く日本にまで押し寄せました。

産業生産力が高まったのは良かったのですが、急激な工業化は、労働者の就労条件と生活環境を鑑みてはいませんでした。

特に工業都市周辺の生活環境は劣悪で、上下水道も整備されておらず、トイレもありません。住宅の周辺は、汚水とゴミで満ちていました。子どもの死亡率が高いせいで、ある調査では労働者の平均寿命は15歳という結果すらでています。

今からは想像もできないほど、悲惨な生活環境だったのです。そして、コレラが蔓延する条件として考えると、これほどよい環境はありませんでした。

コレラ菌は、主に患者の排泄物や吐いたものから伝染します。

工業労働者たちが住んでいたスラム街では、上下水道が整備されていないので、排水は何の処理もされないまま川に流されていました。その水は、もちろん浄水場を通ることなく下流の人の飲水や生活用水として利用されます。

これでは、一度コレラの感染者が出れば、あっというまに広がるのは当然だったでしょう。

さらに、交易が盛んになり世界中と繋がった19世紀では、コレラ菌の保有者が入国するルートができていました。

もともとヨーロッパにコレラ菌があったのか、それとも交易ルートから侵入したのかは定かではありません。ただ、この時点でコレラが広がる環境はすでにできあがっていたのです。

1832年、パリでコレラが大流行したとき、約1万8千人もの人々が生命を落としたといいます。このような猛威が、1800年代に6回も起こりました。

コレラはもともと悲惨だった工業都市の労働者たちの生命を奪い、都市社会そのものを「解体」していく恐ろしい厄災となったのです。

 

コレラ予防のために取り組んだ結果が公衆衛生という考え方を産んだ

1884年にロベルト・コッホが原因菌を発見するまで、コレラが発病する行程はまったく分かっていませんでした。

当時考えられていたのは、よどんだ河川や沼地から発生する毒気によって病気が発生するという説です。これは科学的根拠がない俗説でしたが、汚水がコレラ感染につながるという視点においては当たっていました。

ヨーロッパ諸国は、労働者の生活環境を清潔に保つことで、コレラの予防に取り組みます。

1848年に、イギリスで公衆衛生法が成立しました。フランスでも総延長600キロに及ぶ地下下水道が建設され、水回りの衛生状態が大幅に改善されていきます。

コレラの被害がきっかけとなって衛生管理の必要性が説かれるようになり、工業都市の生活環境が向上するようになったのです。

 

このようにコレラが世界的に流行したのは、世界の交流が活発になったのと、工業都市の不衛生な生活環境が結びついた結果でした。

多大な犠牲を伴いましたが、コレラが生活環境の問題点にスポットを当てた形になり、現代にいたる公衆衛生管理の基礎を「創造」することになったのです。

しかし、コレラは21世紀の現代でも流行することがあります。2010年のハイチ地震の後、コレラが発生したことは記憶に新しいでしょう。

人類とコレラとの戦いの歴史は、まだ終わっていません。

 

【参考文献/サイト】
・宮崎正勝編著(2002)『世界史を動かした「モノ」事典』日本実業出版社.
・厚生労働省「コレラ」http://www.mhlw.go.jp/
・世界史の窓「産業革命」http://www.y-history.net/