茶への課税がアメリカを決断させた。独立戦争が及ぼした解体と創造


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現代世界をリードする国家といえば、第一に挙がるのはアメリカ合衆国でしょう。

そのアメリカが主権国家となったのは、1775年から行われた革命戦争を経て、1783年にパリ条約が締結されてからです。

植民地だったアメリカがイギリスの支配から脱して独立国家となったこの一連の戦争は、それだけでは終わりませんでした。

西欧諸国の王政を「解体」し、市民国家を「創造」するきっかけになった、まさしく王権からの独立戦争になったのです。

 

アメリカ独立戦争のきっかけは重い課税だった

もともとアメリカにはスペイン、フランス、オランダといった西欧諸国が植民地を作っていました。そこへイギリスも参入し、オランダやフランスとの戦争の結果、アメリカ大陸の東海岸にそって13の植民地を手にすることになります。

この当時、イギリスは1755年から1763年にかけて行われたフレンチ・インディアン戦争のほか、多くの戦いによって財政が悪化していました。そこで手に入れた13植民地にさまざまな税を課して、立て直そうとしたのです。

それまでイギリス本国と比べると植民地への課税は軽かったため、本国の人々から不満の声が上がっていたことも、重税に踏み切った要因でした。

ただし、ただ課税されたことが反感に繋がったわけではありません。問題はそこに話し合いや事前の通達が一切なく、イギリス本国で決定した結果だけが押しつけられた点でした。

砂糖に課税した1764年の砂糖法。印刷物全般に印紙を貼るように定めた1765年の印紙法。生活必需品に高い関税をかけた1767年のタウンゼント諸法など、次々と問答無用でかけられた重税に、植民地の人々は猛反発します。

特に問題になったのは、経営が悪化していた東インド会社に対して、13植民地にお茶を売るときには関税がかからない権利を与えたことです。

東インド会社のお茶が極端に安く入荷する反面、13植民地で栽培された茶にはタウンゼント諸法による高い関税がかけられたままでしたから、市場競争の上でとても不公平な課税といえます。

このお茶への関税が、決定的な事件を起こすきっかけとなりました。有名な1774年のボストン茶会事件です。一部の人々が、ボストン港に停泊していた東インド会社の船からお茶を盗み出し、そのまま海に投げ捨てました。

この植民地側の暴挙に対して、イギリスはボストン港を封鎖し、マサチューセッツ州の自治権を取り上げます。

自治権の剥奪は13植民地には到底受け入れることができない処置でした。1774年にフィラデルフィアにて大陸会議が開催され、イギリスとの通商断絶の決議が採択されます。

そして1775年にレキシントンの戦いが起こり、ついに戦線が開かれることになりました。

ボストン茶会事件に対するイギリスの処置は、13植民地を従わせるどころか、逆に団結させ独立運動へと大きく踏み出すきっかけになったのです。

 

西欧諸国を巻き込んだアメリカ独立戦争

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アメリカ独立戦争というと、一般的にはアメリカ13植民地とイギリス本国との戦いと思われてますが、実際には多くの西欧諸国が参戦しました。しかもアメリカ側に味方しています

当時イギリス軍は世界でもトップクラスの実力を持っていて、戦に慣れない民兵を中心としたアメリカ側は苦戦の連続でした。

その状況が変わったのが1777年のサラトガの大勝と、続く1778年のフランスの参戦です。イギリスの勝利を良しとしないフランスがアメリカ側についたことにより、独立戦争は英仏戦争の体を持つようになります。

さらに1779年にスペイン、1780年にオランダがやはりアメリカ側につきました。イギリスがアメリカに対して海上封鎖戦略をとると、ロシア、スウェーデン、デンマーク、プロイセン、ポルトガルが武装中立同盟を結成することで海上封鎖に穴を開け、アメリカ側の支援にまわります。

他にも個人的な義勇兵としてアメリカ側に立って戦った各国の専門家の存在も、戦争素人の集団であるアメリカにとっては大きな支援でした。

このようにアメリカ独立戦争は、全体ではイギリス対西欧諸国の戦争になっていったのです。

諸国の援助を受けたアメリカは徐々に優位を確立し、1781年のヨークタウンの戦いで勝利を収めることで、実質的に独立を勝ち取りました。

 

アメリカ独立戦争は王政を解体し、共和制国家を創造した

アメリカは戦争途中の1776年に有名な「独立宣言」を発表して戦い抜き、1783年のパリ条約で正式に独立を認められました。

イギリス本国の植民地政策を「解体」し、みごとに新しい国を「創造」したのです。

しかし、アメリカ独立戦争が「解体」したものは、それだけに留まりませんでした。何より大きかったのは王政・貴族制から脱して、市民階級が権力をもった共和制国家を作り上げ、その実績を世界に知らしめたことでした

特にアメリカ独立戦争に大きくかかわったフランスは、もともと悪化していた財政が戦費によってさらに圧迫され、結果として国が破綻しフランス革命がおこりました。アメリカ独立宣言がフランス人権宣言に与えた影響も無視できないでしょう。

 

アメリカの独立はフランスだけでなく、ヨーロッパ各国や世界各地の植民地にも影響を与えました。世界的強国の1つであったイギリスから独立を掴み取ることによって、王政は絶対ではない、独立を勝ち取ることもできると実証してみせたのですから。

この戦争に関わったすべての国に、王政からの独立の種を植えていたのです。

アメリカの独立は市民革命の先駆けであり、新しい共和制国家を世界に広めるための「解体」と「創造」の行程となったといえるでしょう。

 

【参考文献/サイト】
・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・鶴岡聡(2004)『いっきに読める世界の歴史』中経出版.
・世界史の窓「アメリカ独立戦争」http://www.y-history.net/