東西の境を解体しヘレニズム文化を創造した英雄アレクサンドロス
国内を統一した人物は国ごとに数多く存在しますが、国境をまたいで世界規模の大帝国を築いた英雄はなかなかいません。
その数少ない中でも特に有名な英傑といえば、アレクサンドロス3世、通称アレキサンダー大王が挙がります。
アレクサンドロスは、ギリシア北方にあったマケドニアから東へ侵攻し、地中海周辺からインダス川流域まで支配しただけでなく、東西の文化を融合させヘレニズム文化生み出しました。
国境を解体し、今までにない新しい文化を創造したのです。
アレクサンドロスの東征と大帝国の創造
アレクサンドロス3世は、ギリシア北部にあったマケドニア国王の息子として紀元前356年に生まれました。
古代ギリシアの有名な哲学者アリストテレスを家庭教師とし、大きな影響を受けたといいます。
父王であるフィリッポス2世が暗殺され20歳で王位に就くと、浮足立っていた国内を統合し、続いてギリシア全土を掌握しました。その後、紀元前334年に東に位置するアケメネス朝ペルシアに向けて進軍を開始します。
これが、アレクサンドロスの東方遠征です。
アレキサンドロスがなぜ東征を行ったのかははっきりしません。
しかし、アケメネス朝ペルシアは紀元前550年から栄えていたオリエントの大帝国で、いく度となくギリシア世界へ干渉し続けてきた油断ならない敵国でした。アレクサンドロスでなくても、チャンスがあれば攻略したいと考えたことでしょう。
紀元前331年のガウガメラの戦いで決定的な勝利を得た後、アケメネス朝ペルシアを滅亡させたアレクサンドロスは、インド方面まで進軍しガンジス川を南下してからバビロンに戻ります。
地中海からガンジス川にいたる空前の大帝国を築き上げたのです。
国境、文化、民族の境を解体し、新しい世界を創造する
このように、アレキサンドロスはマケドニア、ギリシア、エジプト、メソポタミア、ペルシアを含む広大な版図を得ましたが、それだけでは終わりませんでした。
この広すぎる国土を効率よく治めるために、マケドニアとペルシアを融合させようとしたのです。
具体的には、ペルシアの人材を積極的に用いること、ペルシアの文化や風習を取り入れた統治を行うこと、自身も含めてマケドニア人とペルシア人の婚姻を進めたことなどが挙げられます。
帝国内では国境どころか文化や民族の違いも解体され、1つの新しい世界が創造されようとしていたのです。
アレクサンドロスは紀元前323年に33歳という若さで病死し、大帝国もあっというまに分割されてしまいましたので、完全な融合には至りませんでした。
しかし一度混じり合った文化は、帝国が分割されても互いに影響し合うことになります。
その結果、マケドニアを代表とするギリシア系文化とペルシアを代表とするオリエント文化から独特の文化が創造されました。「ヘレニズム文化」の誕生です。
ヘレニズム文化がもたらした歴史への影響
ヘレニズム文化とはギリシア風文化のことをいいます。ギリシア文化を基盤として、オリエント文化を取り入れた新しい文化でした。
ヘレニズム文化は、その後の地中海沿岸の文化や学問に強い影響を与えていきます。
国境の枠を越えたことにより国家論や文明論ではなく、個人そのものの生き方を突き詰めた哲学が発達し、芸術では人物の美しさを表現した大理石彫刻が発展しました。この時代の作品で有名なものにはミロのビーナスが挙げられます。
また、普遍的な個人のあり方を模索するコスモポリタニズム(世界市民主義)が生まれたのも、ヘレニズム文化の下でした。
このヘレニズム文化はその後、ローマを始めとするヨーロッパ文化の礎になりました。それどころかインド、中央アジア、中国、日本にまで伝わり影響を及ぼしていくことになります。
国境も、文化も、民族も解体された結果、より大きな世界を基準にした文化が創造され、文字通り世界中に影響を及ぼしたのです。
アレクサンドロスはいくつもの国境を解体し、大帝国を創造しました。しかし、その本当の成果は、異なる文化や民族の枠を解体・融合し、全世界レベルで適応できる普遍的な文化の礎を創造したことにこそあるといえるでしょう。
アレキサンドロスは、まさに大王とよぶにふさわしい英雄だったのです。
【参考文献/サイト】
・島崎晋(1999)『目からウロコの世界史』PHP研究所.
・世界史の窓「アレクサンドロス」http://www.y-history.net/